華北から江南へ(武漢)

【楚の国へ】

華北と江南は秦嶺山脈と淮河によって隔たり、中国は古来、北は黄河、南は長江に沿って主要都市が構えられてきた。今日は長安と洛陽を擁する華北から、宋代以降度々中心地となった江南地帯へと移動する。行先は武漢。

武漢の名は、武昌、漢口、漢陽いわゆる武漢三鎮の総称。市の中心部を北東から南西に長江が貫き、その最大支流である漢水が西へ伸びている。長江の東に武昌、漢水の北に漢口、南に漢陽が、それぞれ対岸する位置関係。各市の名を冠した主要駅は、武昌駅と漢陽駅が長江を挟んで東西ほぼ対面し、高鉄が停まる武漢駅は、漢口駅から長江の遥か向こうの東、やや郊外にある。

西安から武漢までの所要時間は、高鉄の便によって異なるが、今回は比較的早い4時間弱で着く切符を手に入れた。以前大連から北朝鮮国境に近い延吉まで20時間以上掛けて列車移動した経験があるだけに、交通事情の飛躍的な向上を感じる。のち武漢を拠点に襄陽と荊州を回る予定だが、これも高鉄の利便性あってこそ。湖北・湖南省の辺りはかつてのの領域。

道すがら車窓の冬景色は荒涼とし、見渡す限りの平原、延々と連なる枯木が寂寥を醸し出していた。途中、曹操の拠点許昌が道路標識に見え、この辺りだったのかと胸が躍る。それにしても中国は広い。果てしない大地さえ、全土の一点に過ぎず、馬のみが動力の時代、他国を征服しようと縦横に駆け巡った人々は、どれほど頭の中が広かったか想像を絶する。世界が狭くなった現代は、かえって世界の大きさを体感するのが難しいかもしれない。

音楽を聴きウトウトしていると、前方の座席からドラマの大音声が耳に入ってきた。イヤホンを付けろ言いたいが、そんな乗客は他にも居て、誰も気に留めない。車両には給湯器があり、昼時はカップラーメンをすする人が多い。どちらも日本の新幹線とは程遠く、騒音と臭いは最新鋭の高鉄であっても中国鉄道旅の道連れである。


【錆びない剣】

武漢駅に着くと早速、越王勾践の剣がある湖北省博物館に向かった。メトロ各駅は駅名標のデザインが洒落ていて、洗練された印象。西安では、ロングコートの背に巨大なバンビのアップリケを縫い付けた女性を見かけるなど、強度の素朴さがあったので随分違う。外に出たら空気が生温く、小雨の湿気もあって、南に来たんだなと肌で感じた。

博物館へは4号線東亭駅から15分ほど歩く。道中、銀聯カードから現金を引き出すべく銀行に寄り、ATMの前に立ったら、背後でガシャンと音がして鉄格子で閉じ込められた、いや保護された。初めての人なら驚く仕掛けで、確かに後ろを気にせず操作は出来るが、閉所に隔離された居心地悪さの方が勝った。解錠方法に戸惑ったら慌てていたかも。

壮大な構えの湖北省博物館

越王勾践は呉王夫差と共に「臥薪嘗胆」の故事で知られ、このくだりの物語は10代の頃、陳舜臣の「小説 十八史略」で面白く読んだ。父を殺された夫差は薪に臥て復讐に燃え、ついに勾践を破る。服従の勾践は肝を嘗めて悔しさを忘れず、力を蓄えついに夫差を滅ぼす。この間ハニートラップとして夫差に送られたのが西施。ある醜女がこの絶世の美女を猿真似して眉をひそめ、そのおぞましさにおびえた里人が、固く門を閉じたり村から逃げ出したという「顰に倣う」の話は、描写が漫画的で笑える。

幸運にも見物人がまばら

越王勾践の剣が貴重なのは、2,000年以上錆びない技術力が注ぎ込まれているから。腐乱しない遺体保存方法といい、古代中国の化学知識は恐るべきものがある。普段なら黒山の人だかりができそうな目玉展示も、幸い館内に人は少なく、ゆったり見ることが出来た。

展示もシンプルで美しい越王勾践剣

淡い黄金色に輝く短剣は、刀身を彩る菱型の紋様もくっきりし、春秋時代製作と知ってはいても、当時のままの姿という現実味が逆に感じられない。名高い越王勾践の所有という由来も確かで、恐らくは実際手にもしただろうに、綺麗すぎてリアルじゃないのだ。こんな破格の宝物を見ると、発見者が味わったであろう驚きや興奮が羨ましくなる。


【宿泊不可】

武昌区には黄鶴楼という、よく古典詩歌に詠まれた楼閣がある。武漢のランドマークで観光の定番だが、建物自体は新しいのでスルーした。もとは孫権が築いた櫓との事。この一帯は長江と漢水が交差する要地で、今から向かう漢口は漢水の入口を意味し、漢水が夏水と呼ばれていた頃は、だから夏口といった。曹操の荊州侵入後、劉備は追撃を凌いでこの夏口まで落ちのび、孫権との同盟に活路を見出す事になる。

要衝武漢は旧日本軍の侵攻地でもあった。吉川英治も”ペン部隊”として漢口作戦に従軍しており、その際魅せられた大陸の雄大な風景が、若き日の劉備が黄河を眺める「三国志」の冒頭シーンに活かされたという。それを下敷きにした横山光輝の漫画にも雰囲気がよく捉えられていて、子供の頃一気に引き込まれたが、戦地と小説と漫画の意外な繋がりに、戦争が遠い昔ではない事を実感する。

明朝は張家界へのフライトなので、漢口駅付近のバスターミナル(空港行きバスが発着する)そばのホテルを予約していた。ところがレセプションで「外国人は泊まれないんです」と申し訳無さそうに告げられた。仕方ないので、近くの宿泊可能な所を紹介してもらう。

駅近の系列らしきホテルを訪れると、英語が通じず、高校生もどきのスタッフ達と話が噛み合わない。翻訳アプリを駆使し何とか対応してくれ、結局さらに別レセプションに案内されたのち、ようやく投宿できた。こちらは身嗜みのしっかりした女性だったが、やはり言葉は通じず、やり取りはまたスマホ経由。都度手間なのだが、これは簡単な現地語さえ喋れない自分の語学能力が原因。近くの武漢博物館を覗くつもりだったが、そんなこんなで時間を取り過ぎ、見学は叶わなかった。


【老朽のプロペラ機】

旅行中盤は武陵源がメイン。拠点は張家界という街で、武漢から約1時間のフライト、奥凱航空(BK2802)利用。武漢天河国際空港へは空港線バスで、漢口BTから約40分。バス待合所の「雷鋒同志に学ぼう」の貼り紙には驚かされた。文革期に毛沢東がキャンペーンに用い、小説「ワイルド・スワン」にも出てきたあれだ。いまだ現役の標語なのか、昔のものが残ってるだけなのかは分からなかったが、貴重な遺物には違いない。

中国屈指の観光スポット武陵源

非文明的行動を戒めるポスターも面白い。曰く「路上に痰を吐くな、道端で煙草を吸うな、落書きをするな」等々、数ヶ条が絵付きで示されている。不良中学生への注意書きそのままだが、そういう行為が目に余るからこその呼びかけだし、実際目にもしてきた。高邁な雷鋒同志との落差が激しい。

武漢空港に着き、ひと気のない搭乗ゲートを通過すると、ミニバスに乗せられた。後続客を待つがなかなか集まらず、25人程度乗車したところでようやく発車。これらが乗客のすべてだった。滑走路の外れのような地点までやたら長い距離を走って、辿り着いたのは「えっこれに乗るの?」と不安になるほどの老プロペラ機。小型機は初めてではないが、これほどボロボロな機体は経験が無い。

機内はというと、2列×2列で並ぶ座席シートはあちこち破れ、メンテが行き届いてないのがわかる。小型機とはいえ乗客たった20数人では搭乗率も3割ほど。もっとも席を自由に移動できるから、プライベート機のような雰囲気はあった。比較的きれいな座席を選んだら、ちょうどプロペラの真横。やがてゆっくりと回りだし円を描くと、どうやら飛べるらしいと、やっと信じることが出来た。

こんなフライトでもサービスはあって、たった1人のCAがミネラルウォーターを配ってくれた。口に含むと今まで飲んでいた某ブランドとは味が異なり、身体にあう気がする(実際、以後この水に切り替えたら腹の調子が良くなった)。我らが航空機MA60は、ブーンと軽快な音を響かせ、離陸前の恐怖を打ち消していたが、あとで調べたら危惧の直感は正しく、事故トラブルを多発している機体だそうだ。


【タクシー交渉】

張家界空港は小ぶりでのどか。外に出ると広大なロータリーがあり、市内行きのバス停留所を探したが見当たらず。他の乗客たちが各々バンやタクシーに乗って去っていくと、結局自分だけがそこに残った。小空港だからバス停はすぐ見つかると踏んだのは甘かった。

とりあえず車が流れていく方向に歩き、人を見つけてはバス停の場所を尋ねたが、皆真面目に対応してくれるものの、方角を示すだけなので分かりにくい。実は空港を出てずっと右に沿って10分ほど歩けば辿り着けたのだが、それほど遠くないと思い込んでいたので、道が違うと誤認し、一旦引き返した。

そこで偶々すれ違った女性職員に再々度確認したら、英語がある程度通じ、ランチがてらだからと案内してくれることに。雑談が盛り上がり始めた頃、丁度ロータリーの向こう側に、やがて客を降ろして空車になるだろうタクシーが目に入った。折角なのでバスよりこれを捕まえる。

彼女が通訳と料金交渉を買って出てくれ「泊まるホテルはこちら?20元でいけると思う」 そして運転手と言葉激しく応酬したあと、沈んだ表情で振り返り、おずおずと「...25元でないと駄目みたい」「いや全然」。内心30元が目処だったから御の字で、丁寧に厚意を謝した。発車後ふり向いたら、もうこちらへの関心は無く、ただ満足げな表情を浮かべていたのが目に焼きついた。


【初の湖南料理】

宿泊は澧水の対岸にあるチェーンホテル錦江之星子午路店。チェックイン後、市内探索と食事の為、とりあえず張家界駅まで出ることに。バスは1元、距離的には遠くないが、繁華街の細い路地をきめ細かく回るので、思ったより時間を取る。車内はかなり年季が入っていて、駅に向かう乗客でぎゅうぎゅう詰め。マナーの無い人は窓の外へ唾を吐き、運転手は禁煙ステッカーを目の前に堂々喫煙している。そのうち空高く、天門山へと至るロープウェイが見えてきた。街中からダイレクトに線を張るとは、さすが中国は発想がダイナミック。

ただ今から天門山に向かうには時間が遅く、ここから離れた武陵源は尚更だった。駅のそばにはバスターミナルや商業施設があり、2階にフードコートを見つけた。スペースのわりには店舗も客も少なく、一店だけやたら繁盛している。水餃子と麺料理の店で、店主は夫婦らしく、役割分担も手さばきもテキパキした様は、まさしくアジアで見る美味い屋台のそれ。ここで食べようと即決し、メニューを見繕って指差し注文した。

湖南省なので湖南料理というべきだろうか。スープなしの和え麺は独特の臭みある風味で、生まれて初めて味わう一品だった。やや苦手だけと旨いことは旨い。慣れるのは難しかったけど、自分が知る中華料理の幅狭さに気付かされた。

麺料理と水餃子と合わせて11元。

副食の水餃子は大ぶりで皮がもっちり。真紅のタレは辛そうだったが、そばの女性客はどっぷり浸けている。一応用心して1mmほどつけて試すと、たったそれだけで脳天を衝く激辛。口の中が燃え、しばらく痛みが収まらなかった。普通に食べていたらと想像するだに恐ろしく、これを平気で食す人たちの舌に畏怖を覚える。そもそも湖南料理は四川料理を上回る辛さで有名らしい。

ただ水餃子そのものは美味しく、麺と合わせると腹一杯のボリュームだった。支払いをしようと席を立つと、いつの間にか屋台には誰もおらず、あたりを見回したら、女主人が窓際でのんびり佇んでいる。歩み寄ってお会計を申し出ると、おっとりした笑顔で頷いた。皿をチェックしてもらわないと精算できないから、彼女の休憩が終わるまで待つほか無いが、このおおらかさに何とも気持ちが和む。バスターミナル隣の利便性もあり、滞在中毎日通う事になった。


【張家界の青空】

1階のスーパーに入ると、クリスマスに合わせて、店員達がカチューシャを着用していた。でっぷりした不機嫌顔の中年女性と、愛らしいトナカイの角が不釣り合いで可笑しい。これも店員なのか、1人のお調子者があちこちで悪戯して、そのおばさんにもちょっかいを出すと、怒りを爆発させ、憤激の蹴りが尻に炸裂、バシッという衝撃音と悲鳴が店内に響いた。日本のお店では絶対に見られない光景だ。

店内は量り売りが目立つ以外は日本と大して変わらず、違和感なく利用できた。日本のお菓子を結構見かけ人気ぶりが窺える。夜食代わりにカップ麺を買い、ホテルで箸を貸してもらったが、蓋の裏側に折り畳みフォークがちゃんと付いてた。意外に気が利いている。

張家界駅そばにも錦江之星があり、こちらの方が便利だったなと悔やんだ。中国のチェーンホテルは清潔度も設備もレベルが一定で利用価値が高い。川向うに宿泊したメリットは、街中を歩く機会を得たことかもしれない。張家界は人口150万を超える都市とはいえ田舎街の風情。宿近くの道路沿いは、バイク屋がやたら目に付き、黒い鉄の塊と油の臭いが延々。家禽や家畜を扱う店も点在し、潰した後の血が坂を下っている。見上げると青い空が目に優しく、大気汚染とは無縁の何の変哲もない光景に、訪中以来初めて旅情を感じた。

(2015/12/24〜25)