玄奘の足跡(西安 2)

【面料理】

西安駅から真っ直ぐ南に進めば大慈恩寺があり、境内には玄奘翻訳の経典が納められた大雁塔が建っている。ホテルはその道路沿いにあったから、路線バスに乗車後、一度も曲がることなく目的地に着いた。

大雁塔周辺には食事処や土産物屋が並んでいる。腹ごしらえはチェーン店「天下第一面」のビャンビャン麺。コクのあるタレが、一反もめんのような麺と、ひき肉や刻み野菜にマッチしている。決して激辛ではなく、ほどよい辛旨さは日本人の舌にも合う味。

ビャンビャン麺は麺の幅広さが特徴

麺は"面"の名の通り、幅広で4,5cmあり、しかも長い。つるつるのプラスチック製の丸箸を持ち上げるたび、手元に滑ってくるのには難儀した。料金は17元で、観光地でも20元出せば美味しい一品が食べられると、ひとつの目安に。椅子の背もたれに掛けた上着ごとすっぽり被せるカバーが珍しかった。


【奇妙な地下宮】

天下第一面を出ると、巨大な噴水公園(北広場)の向こうに、大雁塔の偉観が霞んでいた。1年前バラナシのサールナートを旅行したので、玄奘が実際に訪れたインドと中国ふたつの地を踏んだ事になる。塔に向かって右手に回ると、傍らにチケット売り場があり30元を支払う。入口を尋ねるとなぜか大雁塔ではなく、そばの「地下宮」なる小さな建物を指差された。そんな所行きたくないのに、買うチケットを間違ったらしい。

大気汚染の中そびえ立つ大雁塔

仕方なくその博物館もどきに入ったが、見るべき展示物が無いわりに無駄にスケールが大きく、下り道は先が見えないほどの長さ。これはこれですごくて、こんなのを造るには大工事を要すはずだが、結局何の施設かは分からずじまい。

中では妙な珍宝展も出店していた。眠りこけた店員の脇には怪しげなアイテ厶が陳列され、媚態を見せる立看板の顔写真は、菅野美穂の差し替え。ここで堪忍袋の緒が切れ引き返す事にした。本当の大慈恩寺の售票处は塔の南側にあり、北広場からは約10分歩く。入場料40元。境内の大雁塔の入場は別料金25元。思わぬ無駄足を食ったため、本物は省略した。

インドから持ち帰った仏典の漢訳は玄奘の重要な業績だが、日本に輸入された漢訳経典が日本語に訳されることはなぜか無かった。我々は漢語の音読を読経として自然に受け止めているが、意味も分からない言葉(音)を有難がるのは、よく考えると奇異な話。Jリーグのサポーターが訳も知らずに外国語のチャントを歌ったり、外国語の弾幕を掲げてるのに似ていて、スタジアム観戦する度、坊さんのお経や一向衆の幟旗を思い起こし、そういう国民性なのだと納得してしまう。

【無料の特級展示】

中国は悠久の歴史と豊穣な文化を有する国だけあってか、博物館は9割近くが無料開放されている。なので現地の博物館を可能な限り訪ねようと思った。陝西歴史博物館は、大雁塔北広場から西へ徒歩約15分の近さ。咸陽、長安と古代王朝の首都をつとめただけに、質量ともに中国屈指の規模を誇る。

博物館と大雁塔は旧長安の東側の南

無料チケットは配布時間が定められており、訪れた昼休み明けの13時過ぎには長い行列が出来ていた。窓口は通常展と特別展に分けられていて、特別展は有料。外国人は窓口で身分証明書を見せ、氏名とパスポート番号、性別などの必要事項を用紙に記入しなければならない。

行儀が良い窓口の待機列
陝西歴史博物館は古色蒼然の立派さ

外見はクラシックだが、入ってみると展示物の並べ方や見せ方には工夫が凝らされ、館内設備も最新。正直レベルの高さに驚いた。こんな環境で一級文物を無料で堪能出来るのは素晴らしい。さっきの地下宮や昨日の鴻門風景区のみすぼらしい有料展示とは雲泥の差で、中国が本腰を入れた時とそうでない時の激しい落差に、感嘆とおかしみを感じる。

きれいにディスプレイされた展示物

三国時代に蜀と魏がせめぎ合った定軍山出土のマキビシには目を引かれた。大量生産された筈なので、古戦場跡から沢山掘り出されそうなものだが、矛や槍先や鏃に比べると地味なせいか、展示品としてあまり見かけることも無い。

マキビシは放り投げるだけで棘が必ず頂点になり、設置も持ち運びも簡単。素人でも製作可能な形状で且つ少量の材料で済み、しかも効果抜群。洋の東西問わず、古代から現代まで使われてるアイテムで、シンプルさに真髄が凝縮された、人類史上最も寿命の長い武器と言える。展示された現物さえ、踏めば足を傷つけそうで、三国志の世界がリアルになった一瞬だった。

定軍山は成都と長安のほぼ中間

神獣鏡も興味深い。4世紀の日本から出土する三角縁神獣鏡とは別物で、魏志倭人伝には、卑弥呼に銅鏡を100枚贈ったとあるが、もしこれと同じ鏡のセットが3世紀の墓や地層から出土したら、そこが邪馬台国という事になる。当時の中国と日本の繋がり(を示す可能性があるもの)を、史書でなくモノで見るのは新鮮な体験。

三角縁神獣鏡とは別物

美人顔の変遷のコーナーは面白かった。唐代の美女は、初期こそ細身だが、徐々にふっくら顔になる。ちょうど楊貴妃の時期とも重なる。食糧事情の影響もありそうだが、下膨れで細目の容貌は、現代の価値観からすれば実に酷い。日本の平安美人などはもちろん先進国の唐に憧れたもの。

美人顔として幕末に撮られた写真が、別に浮世絵の美人図ぽくないことからも、絵図は一種の定型とデフォルメと分かる。今日でいえば、わざわざ画像修正で目を大きくしたり、顎を尖らせたりするようなものだろうか。そうやってかえって醜くなった顔が、はるか後世には、当時の美人顔などと紹介されるのかもしれない。


【人民の公園】

陝西博物館を出た後、バス401路でここから近い興慶宮公園へ向かった。唐代の皇帝と貴族の歓楽地で、皇帝が政務を執った場所でもある、言わば7世紀の世界の中心。阿部仲麻呂も訪れており、彼の歌が刻まれた石碑も建っている。

興慶宮に建つ阿倍仲麻呂の歌碑

中国旅では市バスを使いこなすと行動範囲がぐっと広がる。バス停の案内図には路線番号ごとに全ての停車地が一覧記載され分りやすい。頻繁に循環しており、運賃は街やバス種によって異なるが、大体1元~2元。前払い式で料金箱に料金が記されている。

シンプルで見易いバス路線図

公園に入るやいなや、イスラム圏で耳にする独特のメロディが聞こえてきた。中国らしくない旋律が流れるところが長安らしい。幾つかの集団があちこちでダンスに興じていて、別にイベント開催中でもなく日常の風景らしかった。彼らの故郷の歌だろうか、踊ることでアイデンティティを味わっているようにも見える。ここでの散歩は退屈しない。歩調を合わせて円を描くグループ、1人で真剣に隠し芸を演じている中年男など、思い思いに過ごす様子が平和で、気分を和ませてくれる。


ことに縦笛でクリスマスソングを奏でていたトリオは忘れられない。あまりの下手さに今だ耳に残っているほどだが、下手だから練習するわけだから嗤うのは筋違い。それは良いとして、衆人の前でも平然と酷い演奏が出来る心持ちは、他人の目を気にする日本人には難しい業だろう。お国柄の違いか。

玄宗と楊貴妃が牡丹を眺めた沈香亭
政務をとった建物の跡地

園内には唐代を模した建物が点在するが、すべてレプリカだけに有難味を感じない。一応整備はされているが、多少の場末感が無くもなかった。興慶宮は安史の乱以降荒廃し、長安を都とする王朝も唐が最後となった。時代が下ると膨れゆく人口を養うため、穀倉地帯江南へのアクセスが重要度を増し、内陸の関中は不便となる運命が待っていた。大長安の栄華を誇ったスポットは、今は周辺住民の憩いの場として、その役割をしっかり果たしているようにも見えた。

【太鼓娘】

空海ゆかりの青龍寺は興慶宮の東にある。当時の選り抜きの人材が最先進国に留学し、その成果を母国に還元したわけだが、果たして今日の日本はどうだろうか。バス停で待つうち閉館時間が迫ったので、西の鐘楼方面、中国式イスラム寺院の清真大寺に行き先を変えた。バスに慣れると自在に行き先を選択できる快感がある。

アラビア文字の額を掲げる清真大寺

清真大寺は回民街そばの土産物屋が並んだ路地先にあり、見落としそうなほどひっそりしていた。昔ながらの雰囲気が漂い落ち着いた印象。イスラミックブルーの屋根瓦と黄土色の建屋、それにアラビア文字の額が調和し、仏教でも回教でもない、独特の味を醸し出している。唐や元など、遊牧民国家は概ね宗教には寛容で、それがかえって無用な宗教間の摩擦を避け得た。ここはその遺産でもある。

落ち着いた雰囲気の庭園と門
イスラム寺院だけにネコが佇んでいる

鼓楼の麓に戻ると、賑やかな太鼓のパーカッションが聞こえてきた。看板娘がリズミカルにポコポコ演奏する様に、道行く人達も足を止めて見入っている。なかなか巧みで、夜に向けて人が増え始めたストリートを景気づけている。

演奏の合間、彼女はマスクを付けたり外したり。西安の大気汚染は深刻で、人々のマスク率も高い。自分も一度マスク無しで外出したところ、数時間後喉が痛くなり咳込んだので、以降基本的に着用した。ただし、ミュージシャンはずっと顔を隠すわけにもいかないようだった。


昨夜に続き、羊肉を焼く匂い漂う異国情緒の回民街を流す。スカーフ姿も珍しくなく、異国の中にさらなる異国を感じるが、文化の重層感がここの醍醐味。日が落ちるに従い、軒先を照らす灯りは煌々と輝きを増す。

薄暮の回民街の賑わい

この日は有名店買三で夕食。刻んだ胡瓜を添えたうどんより太い麺と、担々麺に似た汁にゴマ風味を混ぜたスープは絶妙で感心しきり。看板料理の包子は、牛肉のを頼んだつもりが、羊肉の包子が出てきた。それはそれで珍しいので食べてみると、独特の臭みがもうひとつ好みに合わず。合計24元で食欲は満たされた。そしてその晩もお腹を下した。

胡麻担々麺風うどん麺
羊肉の包子

(2014/12/22)