ハヌマーンの跳梁(インド 7)

【定食ターリー】

インド旅最後のホテルは初日と同じだったが、今度はベッドシーツが真新しくてきれい。エアコンも動くし、これなら大丈夫と安心しかけたら、バスルームの電灯がつかない。スタッフを呼ぶと修理は無理と言われ、部屋を替えることになった。するとこちらはベッドはくたびれ、テーブルや備品には埃が被っている。もう面倒になって1泊の我慢と諦めた。

ランチは南インドの定食ターリーで有名なSARAVANA BHAVAN。コンノートプレイス駅から徒歩10分。世界中に支店がある行列覚悟の人気店だが、丁度すき間の時間帯だったようで待たずに入れた。

店内は簡素ながら清潔感があり、店員はきびきび働き、名店の雰囲気が漂う。出されたプレートには、9つの円い器にカレーやヨーグルトなど様々な汁や惣菜が入っていて、中央に2つのつけ合わせ、大きな丸い煎餅、茶碗2杯分ほどのライスが添えられる。小さな器はカトリ、大きな盆をターリーという。

毎日でも食べたいほどの味

どう食べるのか瞬時戸惑ったけど、食べたいように食べるのが正解だろうと、1つずつ味を楽しむ事にした。カレーはどれもスープ状で、さらさらした米と良く合う。器それぞれに特徴を持ち、酸っぱいものやしょっぱいもの、野菜が含まれている器もある。食べるうちに汁が米の中で混ざり合い、味が組み合わさるともっと美味。カレーは一番辛いものでも、ピリっとする程度と、どれもあっさりした味で、いくらでも食べられる。甘いチャツネや、ココナッツ風味のシロップは、箸休めならぬスプーン休めに丁度良い。

本場のカレーは、日本のカレーとはほぼ別物で、ご飯に付く味噌汁に近い感覚かもしれない。飽きのこない味わいがあり、国内で毎日カレーは無理だけど、ターリーなら全然いける。日印におけるカレーは、食卓での位置づけが異なるようだった。


【青空の霊廟】

ターリーに大満足して次に向かったのは、行き損ねていた世界遺産フマユーン廟。最寄のJLNスタジアム駅で客待ちしていた数台のサイクルリキシャから、実直そうな車夫を選んで雇う。歩ける距離ではあったが、現地通貨が余り気味だったので積極的に使うことにした。ルピーは海外持ち出し禁止だし、再訪予定も無いので。

コンノートプレイスでは濃い灰色だった空が、いつの間にか透き通るような青になっていた。エリアによって差異があるのか、たまたまきれいな時間帯だったのか、ともあれ青空は天の贈り物。すれ違った校外学習の生徒たちがにこやかな笑顔を向け、ついでに写真を撮ってくる。外国人が珍しいのか、やってみたかっただけなのか。

フマユーン廟の偉観は、淡い青と赤褐色の幾何学建築のコントラストが絵になっていた。遺跡内は緑が多く、鳥が飛び交い涼風が吹いている。これをインド初日に見ていたら、街の印象も変わっていたかもしれない。ニューデリー駅の方角を見やると、どんよりとした鉛色が地上を覆っている。

タージマハルに影響を与えたフマユーン廟

帰りはオートリキシャを使う。揉めそうな運転手はある程度判別がついていたが、眼鏡に適う男が見当たらない。いっそ駅まで歩こうかと迷っているうち、声を掛けてきた中年男で何となく手を打ってしまった。人相が良くなく、直後に後悔したが仕方ない。

道中、色々名所に連れて行ってやると、さかんに話しかけてくる。インドに着いて間もない観光客と勘違いしているようで、後々面倒と予期していたら、案の定、駅に着いて料金20ルピーを払う段で「足りない!」と難癖をつけてきた。「20渡したけど」「20?200だ!」と怒りの形相で声を荒げる。無視して料金を支払いさっさと立ち去った。こういう場合、相手は既に相場の運賃を受け取っているから、追ってくるような真似まではしない。

バス利用はしなかったので、必然オートリキシャやサイクルリキシャの利用が多かったが、大抵揉めるのには閉口した。まず金額で争い、話がまとまっても目的地に行くとは限らない。経験上、積極的に声を掛ける運転手ほど質が悪かった。これは乗り物に限らず、あらゆるシチュエーションに当てはまる。もちろん良心的な人も中にはいたが、少数派だった。ただ昨今は、UberOlaといった配車サービスの普及で、幾分改善されたとは思う。


【インドの紅茶】

英国の植民地だったのでインドは紅茶も有名。お土産用にとコンノートプレイスの有名店ミッタルティーに出掛けた。道に迷い立ち止まっていると、通りがかりの男に「どこへ行きますか」と声を掛けられた。身なり良い制服姿で英語も流暢。無視しようとすると、機先を制し「違う!私は勤め人で、そこらの連中のような物売りではない!もし道案内出来るならと思って尋ねただけだ」と主張した。

心理学者の言う通り、制服はやはり威力があるもので、探し疲れていたのもあり、つい「ミッタルティーという店を探してるんだけど」と応じた。「おお、その店ならこの道を左に曲がった所だ」そこで入口のドアマンに案内され店内に入ると、高級そうな織物が所狭しと並べられ、しかし紅茶などどこにも無い。

刹那「やられた!」と血の気が引いた。外のドアマンがロックして、商品を買うまで軟禁という悪夢のパターンに違いない。踵を返してドアを押すと、あな不思議、すんなり開いてくれた。ほっとしたのと同時に、今まで警戒を怠らなかったのに、最後の最後で客引きに引っ掛かった迂闊さが腹立たしくなった。風体が胡散臭い連中を疑うなんて誰にでも出来る事だ。

場所を変え再度地図を確認していると、また声を掛けられた。振り向いたら、つけられていたようで、さっきの制服男が立っている。薄気味悪くなって「もう案内は要らない」とばかりにガイドブックを見せ付けたら、それ以上は追ってこなかった。結局紅茶店は見つけることが出来ず、お土産は空港内のショップでまかなった。


【困った時のルームヒーター】

ホテルに戻ると夜気で肌寒くなっていた。エアコンが動くのは確認済みなので、安心してスイッチを入れると、確かに勢い良く風が流れてきたものの、冷風しか来ず、どんどん寒くなっていく。故障で暖風が出ないらしく、動作しただけで喜んだのは甘かった。

対応に来たスタッフは、午前にバスルーム電灯の壊れた部屋を案内したヒゲ男。今度はエアコンが駄目だと伝えると、こちらの肩に手を乗せ、首を振りながら「お前もよくよく問題を抱える奴だな」とため息をついた。問題なのは基本的なメンテを怠っているお前らだ。

ヒゲ男はエアコンから送出される風に手をかざし、しばらく様子を窺ったのち「暖風だ」と断言した。単に面倒臭がっているのだと見て取り、辛抱強く説明する。「まず15℃に設定する。この風は冷たい。じゃあ次は30℃に設定する。・・・風は暖かくなったか?」 

これにはヒゲ男も納得せざるを得ず、なぜかバスルームに入っていった。かと思うとすぐに出てきて、また様子を見始める。状況は何も変わっていない。「・・・?」よく見ると開いていたバスルームのドアが閉じられている。空間を狭くして保温効果を高めようとしているのか。そういう問題じゃない!

もう時間の無駄だ。再々度部屋を移る気も起こらず、いつもの防寒対策を提案した。「ルームヒーターある?」すると解決策にホッとしたのか、ヒゲ男の表情がパッと輝いた。「Yes!」すぐに持ってこさせると約束した後、一件落着した足取りで部屋を出て行った。トラブル時はゲスト主導で対処しなければならないから困る。


【釈迦の骨】

ついにインド最終日の朝を迎え、晴々とした気分で宿をチェックアウトし、早速ターリーを食べに出たが、あいにく定食が提供される時間には早かったらしく、別メニューを頼む他なかった。

デリー国立博物館はコンノートプレイスからリキシャで5分ほど。国立とは思えぬ古びたクロークにリュックを預け、身軽になって展示物を見て回った。館内は掃除は行き届いてないものの、それなりに大規模。中学生くらいの団体がひっきりなしにやってきては、ポイントポイントで座り込んで先生の解説を聞いている。それらが重要なんだなと目星をつけ、あとでゆっくり眺めたりした。

その一つにガラスケース収められた黄金の塔があった。塔中には何かが有難そうに安置されている。説明文中の”Relics”の意味を計りかねたが、仏舎利だろうと見当をつけた。近づいて眺めるとただの石で骨には見えない。けどこれがブッダを構成していた物質だとすれば、釈迦を伝説の存在ではなく、生身の人間として身近に感じられてくる。

展示物は時代が下るほどイスラム関係が多い。インドはヒンドゥー教の国だが、歴史的には1,000年ほど前からイスラム教が主勢力で、現代ではそれがパキスタンとして分離した格好。インドの大地には、イスラム教徒に征服はされても、イスラムをすら取り込む包容性があった。これはたびたび異民族に征服されながらも、その都度彼らを中華文明で包含した中国と似ている。


【幸せな帰国】

博物館を出てウッディヨーグ・バワン駅まで歩く。そこでエアポートメトロに乗換えるから、いよいよインドともお別れだ。一帯は都市開発省や空軍省など官公庁が並ぶエリアだが、どういうわけかサルが我が物顔に徘徊している。数匹現れたのに驚いていたら、数匹どころか、いるわいるわ、その数100匹は下らない。

神話で猿将軍ハヌマーンが敵を打ち破った功績で、サルの跋扈も大目に見られているそうだ。霞ヶ関にサルの大群が出現したら新聞沙汰だが、これもお国柄の違い。道端には屋台が立ち並び、客もふつうに飲食中。お腹をすかせたサルが襲撃しないだろうか、そんな心配をよそに、動物たちは完全に街に溶け込んでいた。

さて地下鉄構内にもぐると、そんな空気も閉ざされる。エアポートメトロに乗り込むや否や、ウェットティッシュを取り出し、顔と手、着衣、荷物をくまなく拭き取った。砂と埃の物質的な汚れに加え、インドの旅そのものを払い落としたような爽快な気分。一歩一歩インドから離れているのを実感し、うれしくて仕方がない。窓の外の黄色く濁った景色を見やりながら、明日きれいな東京の空の下に居るのを想像するのは、今回の旅行中もっとも幸福な時間だった。


【総括】

インド旅行から数年経ち、改めて思うのは、それまでの外国旅行の基準をインドに当てはめ過ぎていたということ。

値段交渉で戦う、ボラれる、貧しいサービス、順番を守らない、謝らない、無数に声を掛けられる、付きまとわれる、嘘を付かれる、汚い道路、汚れた大気、道端に居座る牛と、そこかしこに流れる糞尿etc

そんな異世界に対して狭量だった。今まで訪れたどの国もそんな事は無かったから、それが当たり前だと思い込んでいた。けど一部の常識が全部の常識とは限らない。

そんな当たり前の事を忘れがちだった。不快な出来事の数々が、客観性と冷静さを遮っていたのかもしれない。重要な事実は、インド滞在中、危害を加えられず、身ぐるみ剥がされもせず、キャンセル料等支払い関係は全て正当に処理されたこと。何も失っておらず、色んな体験を得、要するに無事に旅をして帰ってきた。上々ではなかったろうか。

(2014/12/29〜30)