スレイマンの霊廟(イスタンブール 6)

【只今礼拝中】

古来賑わい続けてきたグランドバザールだが、今日その役割は住民の市場から、外国人用の観光スポットへと変貌している。ただ土産物屋に事欠かないから、リラ残額を使い切るのに適当、という事で帰国当日に訪れた。最寄駅はトラムT1線ベヤズィット駅 (Beyazıt) で、そこから北に歩けば、広大な市場のどこかの入口にたどり着く。旧市街からも徒歩圏内。

バザールは年の瀬もあってか閑散、活気に欠けていた。店員の姿すら稀なので訝しんでいると、店の軒先に「礼拝中」とある。なるほど待つしかない。もっとも、礼拝が済む時間は店によってまちまちで、祈りにかこつけた休息タイムでもあるようだ。店舗でお茶パックをまとめ買いすると、観光客擦れした対応で少し興醒め。同じ観光名所とはいえ、多少は生活感があったスパイスマーケットに比べ、こちらはさながら物産展の観。

訴求力あるビジュアルの吊りランプ屋

バザールは同種商品を扱う店ごとに区画分けされており、店数と陳列の品物は多種多様で膨大。色とりどりの光に満ちたランプ店にはとりわけ目を奪われた。魔法世界のような綺羅びやかささで、部屋に一つ吊るしたら独特の雰囲気を醸し出しそう。破損を恐れて土産にはしなかったが一見の価値があった。

魔法の世界のような色鮮やかさ
カラフルで細密な模様の陶器たち

もっとも基本的に人の少ない市場は面白みに欠ける。買い物を済ますと早々切り上げ、近くのレストランで昼食を摂った。オープンテラスに席を取り給仕を呼ぶとトルコ語で挨拶された。そこで初めて、今回のトルコ旅の会話がすべて英語だったと気づき愕然。かろうじて知っていた単語、メルハバ(Merhaba )=こんにちわ、 ブユルン(Buyurun)=どうぞ、は聞き取れたが、それだけ。現地語に触れない外国旅行を省みざるを得ない。

ユフカの下にケバブが隠れている

出されたピラフはシンプルながら安定の美味しさ。塩気がほどよく効いていて、細切りされたジューシーなケバブにトマトの酸味を付け合わせるともっと美味。決してお金を掛けた訳でもないトルコでの食事は、最後まで期待を裏切らなかった。


【名君と傾国の美女】

高台に立つスレイマニエ・ジャーミィは、海や街全体から一望できる為、その威容はイスタンブールの象徴にもなっている。寺社や教会もそうだが、一見差異の無いモスクも、実際に訪れるとそれぞれの特色と個性がある。装飾過多に感じられたブルーモスクに比べ、ミマール・スィナンの設計によるこちらは、洗練された佇まいに趣味の良さを感じた。

16世紀世界で最も強盛だったのは恐らくスレイマン大帝治下のオスマン帝国で、同時にピークをつけた時期でもあった。征服事業に邁進した壮年期と、寵姫に惑い後継者問題に躓いた晩年期の対照は、在位期間の長い君主が嵌りがちな落とし穴。古今東西、人の性は変わらない。

採光に配慮した数多くの小窓

敷地の入り口には身を浄める水場があり、自分も異教徒なりに見よう見まねで作法を倣う。寒い中足まで丁寧に洗う人もいて、そこまでは真似できなかったが、儀礼を踏まえる事で敬虔な気分が湧いた。いつものようにモスクの絨毯に腰を降ろし、美麗の天井を眺める。ウィーンから始まった半月の旅も無事終わり、安堵のひとときを静謐の空間で過ごすのは心地よい余韻だった。

シンプルで落ち着いた外観

当地にはスレイマンとその家族の廟も併設されている。アラビア語のジャーミィとは、人が集まる場所を意味し、祈りを捧げる礼拝所としてのみならず、学校や病院や宿泊所等を含む複合施設の機能を持つ。霊廟もその諸施設のひとつ。 

スレイマンの棺をおさめた廟

霊廟に安置されたスレイマンの棺は、窓から覗く形で見学できる。歴史上の著名人の遺骸を参るのは、自分のひとつの趣味。と言えば聞こえが悪いが、その人が存在した証拠に向きあう事で、その人を感じ、相対している気分、あるいは錯覚に浸れる。遠い時代の遠い世界に生きた人物も、我々と同じ人間だったのだと改めて思わされる。

緑の庭園と石畳に公園の趣も感じる

皇妃ヒュッレムの墓もある。ドラマ『壮麗なる世紀』が世界中でヒットし、スレイマン時代の認知度も飛躍的に高まった。奴隷から上り詰めた背景もあってか、ヒュッレムは当時から国際的に知られた女性で、皇位継承にも力を及ぼしたと思しい。スルタンを籠絡した魅力と、ライバルを貶める陰謀渦巻くストーリーは、大衆ドラマにもってこい。

邦題『オスマン帝国外伝』の主要キャストは皆スターの輝きとキャラ立ちに優れ、不合理や似た展開のループにも関わらず、つい次回を見たくなる脚本の妙には人気も納得。特にヒュッレムの悪辣さと情愛を併せ持つ様は、醜く見える時と美しく見える時の落差が大きく、演じ切った女優のバイタリティ含め、時代劇のヒロイン像として新鮮だった。創作の割合が多いながら、コンテンツを通じて大勢がその国に興味を持ち、結果有形無形にトルコが潤うのだとしたら良いことには違いない。

(2013/12/30)