走るサイクルリキシャ(インド 1)

【デリー地下鉄】

日本と深いところで縁がありながら、文化的に大きな隔たりがある国インド。旅行者はひっきりなしに驚き、困り、戸惑う事になるが、それらがスパイスとして旅をどう味つけるかはその人次第。以下インド旅を綴る。


インディラ・ガンジー国際空港ターミナル3は近代的でクリーンな施設。入国審査もすぐに済み、エアポートメトロまでの道筋も分かりやすい。市内への足としては最も安全で利便性が高く、ニューデリー駅まで100ルピー、20分。近代的な環境はここまで。

ニューデリー駅で市内を網羅するメトロに乗り換える際、最初の洗礼を浴びる。メトロ駅構内はエアポートメトロ構内から一旦出た場所にあるが、一帯は人でごった返し、チケット(トークン)窓口も長蛇の列。閑静だったエアポートメトロとは完全に別世界で、人口密度と喧騒は満員電車のよう。

メトロは何度も利用する予定だったので、一定額チャージできるカードを買おうとしたら、トークン売り場では扱っていないと言われ、指示されたカスタマーケア窓口に向かう。並ぶと横からどんどん割り込んでくる、後ろからどんどん押してくる。マナーの悪さに目を白黒する。

自分の番が来て、窓口をガードしながらやっとカードを買うと、次は荷物検査。デリーのメトロは全駅で空港さながらの持ち物検査が行われ、金属探知機のゲートをくぐり、身体検査される。これを人で溢れた大混乱の中でやる。ここでも割り込まれる。ほとんど形式的なチェックをパスしてプラットフォームに行くと、東京のラッシュ時のような混雑が待っていた。

とはいえ電車は頻繁に来るので、1本やり過ごせば次はガラガラというケースも。各国のメトロ同様、路線はカラーで区別されているが、構内の地面の所々に、各色の足跡マークで進路表示している程度なので、導線は少し分かり辛い。

乗車時、プラットフォームから老婆が自分の方を指指し何か叫び始めた事があった。最初人違いかと思ったが、紛れもなくこちらを非難しているので、戸惑って辺りを見回すと、乗り込んだのが女性専用車両だった事に気づいた。慌てて移動すると、隣車両の男性客たちは、じっと女性車両の方を見つめている。いやらしい視線というより一様に無表情。妙な光景だった。

またある時、駅構内で老人がベンチから腰を上げるのを、そばの青年が手を添え助けているのを見かけた。親しげな様子から父子と思っていたら、たまたま居合わせた他人だったらしく、若者はあっさり別れを告げて去ってゆく。これは心和む風景。

人との距離感が近いお国柄のようで、車両が揺れてバランスを崩しかけた際、かたわらの乗客がさっと手を差し伸べてくれた事もあった。反面、平気で押しのけたり手をかけたりで苛立たされる事もあり、何事も善し悪しなのだろう。

メトロ駅を出ると、砂塵なのか焚き火の煙か、視界が朦々とくすんでいた。行き交う乗り物はひっきりなしにクラクションを鳴らし道を空けさせる。歩いて数分もしないうちに、客引きという名の詐欺師たちに声を掛けられる。

ここパハールガンジは、安宿や商店や旅行会社などが並ぶ、ニューデリー駅から一直線に伸びるストリート。タイのカオサンロードに似た趣きと機能を持つが、歴史と規模はそれを遥かに上回り、それ以上に汚い。あえて宿泊地にしたのは、早朝ニューデリー駅発の列車を予約していたので、駅近の利便性が理由だった。けど混沌ぶりは衝撃的。

ゴミの山に埋もれる乞食に唖然とし、ついてくる変な連中を振り切り、さんざん道に迷った挙句、ようやくホテルを発見。この界隈で3,000円以上ならそれなりの設備だろうと期待していたが、きれいなのはレセプションだけで、部屋は掃除がまったく行き届いていない貧相さ。備品さえ無く、持ってきてもらったトイレットペーパの厚さはほんの数回分。インドはホテルのレベルは低いと聞いていたが、これほどまでとはとすっかり意気消沈。

ホットシャワーが出るのは僅かな救いだったが、身も心も疲れてベッドに横たわると、深夜0時にも関わらず外から不気味なカラオケが流れてきた。ウォークマンのノイズキャンセリングで凌いでいると、次第に強まる寒気に身体が震え始めた。デリーの冬は予想以上に冷え、暖房をつけようとしたらエアコンが効かない。仕方なくウルトラヒートテックを重ね着して耐えた。


【喧騒に気をうしなう】

翌朝、出掛けにレセプションにエアコンの故障を直すよう依頼し、インド旅が始まった。一夜明けてみると気分も幾分爽快になり、何も知らない始めから落ち込んでも仕方ない、そう考えるとインドを楽しもうというポジティブな気持ちが湧いてきた。まず近場のコンノートプレイスで朝昼兼用の食事を摂ろう。

日曜日だった。店はほとんど閉まっている。ここでも怪しげな連中が寄ってきてキリが無い。敢然無視を決め込んだが、とうとういやになって駅構内に避難する。チェーン店のカフェに入り、レジで注文を済ますと、破れている紙幣は受け取れないと1枚つき返された。真っ当な紙幣なのに使えないとは、ババを引いたようなものだ。このボロ紙幣は別の支払いの際、枚数の中に紛れ込ませて手元から離した。

少し落ち着いた後、レッドフォートに向かった。最寄駅のチャンドニー・チョウク一帯はパハールガンジにも増して喧しい所で、人混みも物音も喋り声も客引きもクラクションも砂埃も全てが凄まじく、少しでも立ち止まろうものなら、人力車の客引きが引っ切り無しにやって来て「乗れ、乗れ」と催促する。レッドフォードの方角を尋ねると、一応指差してはくれるが、念のため方位磁針アプリで確認したら、逆方向だったりして信ずるに足りない。

レッドフォートの威容は目を見張るもので旅気分が高揚した。周囲は観光客ばかりで悪い連中も居なさそう。空気も比較的きれいな気がする。敷地内は緑が多く、そこらにリスが跋扈していたって長閑だ。

そびえ立つレッドフォート

次はここから歩いて10分ほどのモスク、ジャマ・マスジドに向かう。そこまでの道のりは忘れがたい。埃っぽい路傍に目をやると、中世から不変なのではというくらい、古さと貧しさに満ち溢れた光景。機械が無い、電気が無い、舗装が無い。時間を遡った感覚に陥った。カンカンカンと金属を叩く音が鳴り続け、途切れ無い人声と物音に包まれ圧倒される。

ジャマ・マスジドに着くと、モスクの例に漏れず中は土足禁止。ただ道中の汚れを思うと靴を脱ぐ気になれなかった。早くも「折角来たのだから」というモチベーションは消えつつあった。高台からレッドフォートを眺望していると、子供の乞食が腕を引っ張り、ゆっくり佇むことも出来ず立ち去る。

モスクのそばにはカリム・ホテルという有名レストランがある。名前は高級だが庶民的な食堂だ。インド旅行で一番恐れていたのは下痢で、初めての食事はちょっとこわい。ただ店内の活気に溢れた様子には、大丈夫と感じさせるものがある。とはいえ翌日はアグラ旅行が控えているので、念には念を入れ、胃腸に刺激が少なそうなエッグビリヤニを注文した。

ビリヤニは平たく言えばピラフ。出されたものはごく普通の味で拍子抜け。相席のおじさんはカレーやシチューにローティを浸し、こちらの方がずっと美味しそうだった。結果的にインド10日間で一度も腹を壊さなかったので、この店の名物料理を頼まなかったのは惜しい限り。


【リキシャとの戦い】

カリムホテルからラージガートに向かう。ガンジーが荼毘に付された場で、近くにはゆかりの品を収集した博物館もある。歩くには遠いのでオートリキシャを雇う事にする。タイのトゥクトゥクに似ている。

距離と相場の相関関係がまだつかめず、相手の言い値の7割ならよし、と考えた。この時は確か40ルピーで決着。1インドルピーのレートは約2円(2014年12月当時)なので、80円程度。あとで分かったが、この時の40ルピーは相場より高めだった。けど到着2日目時は、100円未満は安いと感じていた。

リキシャに乗り込んだは良いものの、小道で大渋滞に巻き込まれ、少しも進めない状態が続いた。リキシャ、人力車、乗用車、バイク、ヤギ(!)が少しでも前へ行こうと、数センチの隙間でせめぎ合う。もちろん車線など無い。排気ガスで目がちかちかする。大通りに出てからリキシャを拾うべきだったと後悔したが、ドライバーは案外イライラもせず平気なものだ。カオスに慣れっこなんだろう。

ラージガートは緑が豊富な大公園で、友達連れなどで賑わい、居心地良い場所だった。モニュメント付近は土足禁止だったので、遠景で間に合わす事にする。

ラージガートの風景

公園の隣にはガンジーが射殺された場に建つガンジースミリティがある。中に入っても誰も見当たらず、野犬がずっとあとを付いてくる。諦めて近くの博物館まで移動。高名な塩の行進の際使用していた杖が印象に残った。

時刻は16時に差し掛かり、本日最後の訪問地フマユーン廟はぎりぎりのタイミングになっていた。近くにメトロは無く、通り掛かるリキシャには空きが無く、移動手段が確保できない。時間がいたずらに過ぎ、やむなくサイクルリキシャを雇った。その名の通り自転車を漕ぐ代物。ここからフマユーン廟は遠いから、最寄のニューデリー駅を行先指定した。

自転車とはいえ人力の俥に乗るのは初めて。たまげた事に、大型トラックやバスや車やオートリキシャがひしめく幹線道路のど真ん中に突っ込み、猛然とこいで行く。周囲の車両は渋滞で速度を落としていたから、衝突事故の危険性は感じなかったが、それでもトラックを真横に、バスの真後ろにつけて走るのには肝が潰れた。排気ガスを気にする暇も無い。50ルピーで手を打っていたが、そんな少額で命を賭けるのは全く引き合わない。

無事到着後、釣りが無かったこともあって、チップ込みで100ルピーを手渡した。それでも車夫はぶつぶつ文句を言っていたが、あとで考えると相場よりよほど高い。つい大盤振る舞いしたのは、大変な労働という驚きがあったのと、怪我なく到着した安堵からだった。デリーでは見かけなかったが、インドではまだ人力車も現役らしい。

疲れもあったので、結局この日は旅程を打ち切った。あたりを見回すと、焚き火を囲む光景が多い。この煙もデリーの冬場の大気汚染の一因とされるが、住む家もなく、火でしか寒さを凌げない人が大勢いるという事だ。毎年寒波で多数の死者が出るのも頷ける。

ホテルに帰ると暖房が相変わらず効かない。何が「あとでチェックしておく」だ。いい加減さに幻滅しつつ、明日のタージマハルに備え早めに寝る事にする。これも後で分かってきたが、インドでは必要な事は要求し続ける事が肝要。日本と同じに考えては、泣き寝入りを招きかねなかった。

(2014/12/20〜21)