【インド超特急】
タージマハルがあるアグラまでは、インド鉄道自慢の特急シャタブディ (Shatabdi) でデリーから2時間、朝6時ニューデリー駅発。駅までは徒歩20分だったが、駅構内で迷った場合も考慮して4時半起床する。目が覚めると外から野犬が吠え合うのが聞こえてきた。まだ暗いし物騒だなと不安がよぎったが、いざ外に出てみると、同じように駅へ向かう旅行者もちらほら。道端には焚き火、時折ツアー客をピックアップするミニバンも駆け抜け、ひと気がある分危険は感じなかった。突如、小路から何の宗教儀式やら、騒がしく楽器を叩き唱和しながら練り歩く一団も現れ、早朝5時半から喧しい。
ニューデリー駅では荷物検査はあるものの、ヨーロッパと同じで改札は無く、そのままホームに入る。電光掲示板に列車名が表示され、ホーム内に車両の停車位置が番号で明示してある。大きな荷持を運ぶポーターたちの姿が異国風で、時折響き渡る構内放送のチャイムはなぜか、昔のWindows起動時の効果音。
目的地が世界的観光地だけに、外国人旅行者が目立つが、それでも圧倒的多数は現地人で、そこかしこに座り込んでいた。チケットの手配をしたのは1ヶ月前だったが、Shatabdi号はファーストクラスからチケットが売れていく為、その時点で目ぼしい席はAC Chair Car (CC) のみだった。ACはエアコンの意味。
CCといえども、日本の特急クラスの座席で食事も付くから、充分なサービスではある。料金は320ルピー。これに鉄道税207ルピー、手数料9.49ルピーが加算され、合計537ルピー。約1,000円強といったところだ。日本人の感覚だと安い。
インドの鉄道の予約管理システムはさすがIT大国だけに優れたもので、インターネット経由で簡単かつセキュアに発券できる。ClearTripという民間のオンライン予約サービスを利用する。こちらにまずアカウントを作る。
但しチケットを予約するには、別途インド鉄道 (IRCTC) に登録する必要がある。IRCTCアカウント作成には、身分照会の為パスポートのコピーを先方に送付し、認証を受けなければならない。面倒だがテロ対策はかように厳しい。ただ、最近はIRCTCから直接チケットを購入できるようになったとのこと。
参照: インド鉄道予約法
それらが済んでから、ClearTripでのチケット購入が可能になる。ウェブブラウザよりは、モバイルアプリを操作する方が簡単で、希望の発着地を検索し、あとは日時・席種・人数を入力していけばよい。
■Creartripアプリ (iOS/Android)
空席を指定して購入ステップに進み、名前やカード番号など必要事項を打ち込めば決済完了。ほどなく登録アドレスに確認メールが届き、添付されているPDFを印刷したものがチケットになる。ユーザーインターフェイスが優れていて、英語が苦手でも使い方に困る事は無いはずだ。
特急はほぼ定刻通りに発車。早速お湯の入った紙コップとティーパックとビスケットを乗せた小トレイが配られた。隣の乗客が「お茶を作るんだよ」と声を掛けてくれたが、水は用心して避けることにする。掻き混ぜ用としてスプーンではなくフォークが付いていたのは謎だ。暫くすると次に朝食が配られる。いたって簡素なもので、文句は無いものの、ファーストクラスと差はあったかも。
夜が明けたと思ったら、ほどなく霧で一面真っ白の景色に。列車は次第にストップする時間が長くなり、着時刻を過ぎた頃、とうとう完全に動かなくなってしまった。結局アグラ・カント駅には3時間遅れで到着。
駅前には大勢のオートリキシャの運転手が待ち構えていた。彼らをリキシャワーラーという。タージマハルまでの料金は一律120ルピー(税が5ルピー加算される)と、窓口らしき建物には料金表が掲示されている。多少高いが明瞭会計だ。道中、運転手が1日貸切をオファーしてくる。「600ルピーで計5箇所、チップは含まれない」。空気が悪いのか、会話中、口を開く度に咳き込み困った。
15分弱で南門近くの駐車場に着いた。運転手の売り込みは止まらず、ツアーガイドの免許か公認運転手かのIDを示して「決して心配は要らない。俺の目を見てくれ」と眼力をこめる。何とも芝居がかったやり口だ。3時間遅延の影響で、訪問予定だったアグラ郊外の城砦ファーテプルシークリーは断念せざるを得ない状況になっており、目的はタージとアグラ城の2つのみだから、「貸切は要らない」と断り、南門に向かった。
【極上の建築物】
タージの料金は250ルピーに考古学税500ルピーが加算され、計750ルピー。インドの物価からすると高い設定だが、客観的に1,500円は納得といったところ。最近はさらに値上げしている。どれほどインドが苦手な人でも、タージマハルだけは訪れる価値がある、と認めない訳にいかない。個人的にも建築物としてはここが過去一番。門を覗くと、そこから建物の遠景が目に入るよう演出されている。造形は直線と曲線の完璧な調和、白の美しさに感銘。丸屋根がこれ以上膨らんでも縮んでも、あるいは尖塔がこれ以上高くても低くても、バランスが崩れるだろう。プロポーションが精髄を極めていて、いつまでも飽きない。運良く霧も晴れ、青空に映える姿も見れたのは僥倖だった。
非の打ち所がない姿 |
墓廟に上がる際は、大理石を傷つけないよう袋を靴に被せる。その他入場時のセキュリティチェックでは、食べ物やペンなどの尖ったモノも預けさせられる。いずれも文化財保護のため。壁面を控えめに彩るカラータイルの幾何模様は、近くで観察しても丁寧な仕事ぶりが窺える。中には微妙に埋め込みがズレているものや、色が異なる箇所もあり、職人の手造り感もあったが、あるいは後世の修復の跡かもしれない。目につくのがこの程度の粗だから、全体を見れば完成度はとても高い。
張り巡らされた模様を接写 |
隙間や色の濃淡の違いは修復の跡? |
幾何的なデザインの一方、花をあしらった流麗な装飾は、象嵌とレリーフの使い分けがセンス良く、イスラム建築の愛らしさが表現されている。タージマハルを筆頭に、インドの数々の名建築物は、多くがイスラム様式で、これは大英帝国以前のインドの支配者ムガル帝国がイスラム王朝だった経緯による。ムガルとはモンゴルの訛で、創業者バーブルはチンギス・ハーンやティムールの血をひく、テュルク−モンゴル系の人物。
デザイン性と写実性に富んだ壁面の花 |
インドとイスラムとモンゴルとトルコは、一見結びつけ難い要素だけど、それらが渾然一体に、陸の孤島インドに花開いた結晶の一つが、タージマハルという見方が出来るかもしれない。それはヒンドゥーをベースとしながら、あらゆる文明や民族をも取り込んできた、インドの奥深さでもある。
派手さはないものの壮麗な墓廟の内部 |
墓廟の北側にはヤムナ川が東西に流れている。こちらは別世界のように人影が無く、南側の観光客の大群の景色と対象的だ。タージ創建時の景色から変わらないような、この河畔からなら、入場料無しでタージを眺めることが出来る。
墓廟の北にはヤムナ川 |
墓廟から南門を望む |
幽閉の塔からタージを望む |
疲れもあり、暫く座って幻想的な景色を楽しんでいると、若者3人が声を掛けてきた。怪しげでもなさそうだったが、話しかける人はすべて要警戒。こちらの気のない態度を見て、じきに去っていった。少し申し訳ない気持ち。こんなケースは数え切れないほどあったが、無視しても強引な行動には出てこない点は共通していた。
アグラフォートの庭園 |
城内の広場 |
細部まで見事に彫り込まている |
アグラフォートの赤い城壁 |
【バスの終着地は高速道路】
タージとアグラ城を観光し終えると、することが無くなった。帰りの鉄道は19時発だが時刻はまだ16時。ただ復路でも大幅な列車遅延が発生してないか、という懸念があり、現状確認の為、出発3時間前だが駅に戻ることにした。つかまえたオートリキシャの運転手は、偶然タージからアグラ城へ向かった時の人だった。向こうも「おっ」という顔つき。アグラ・カント駅と伝えると、「(電車は)遅延だ」と繰り返し、頼みもしないのに、とある旅行会社に車を停めてしまった。これは詐欺のお決まりのパターン。
”旅行会社”のオフィスから男が近づいて来て、「鉄道は5時間遅れているから、ここからバスに乗ったほうが早くデリーに戻れる。もし疑うならネットでチェックしてみろ」と言う。確かに有り得るし、だから早目に戻ってきたわけでもある。鉄道が時刻通りに来ないなら、夕方発のバスで帰ってしまおうと。
けど相手のペースに乗るのは禁物なので「自分のモバイルはネットに繋がらない。実際に駅で確認する」と出発を命じる。運転手は「駅までは遠い」と抵抗し(旅行会社からキックバックを貰っているのだろう)、旅行会社の男は「ネットに繋がったPCを見せるからオフィスに来い」と粘る。オフィスは数歩の距離でドアも開放されているし、周囲に人も多いので、意を決してリキシャを降りた。
見せられたのは運行状況を示すサイト。チケットに記載の列車番号を探すと「2時間45分遅延」とある。ぐだぐだの運行のくせに、情報は早いようで、ページの最終更新は僅か数分前。
さすがにこれは正確な情報といえる。とすれば、予定通り列車に乗ったなら、デリー着は早くても深夜1時、しかも到着駅から宿までは車が必要なほど遠い。これは出来ない相談だ。とすればやはり、先行のバスでニューデリーに向かうしか無い。バスは17時に出発し、所要3時間だから、到着時刻的には問題ない。
だから話は簡単な筈なのだが、恐るべきは、運転手に旅行会社に連れて行かれ、チケットを買わされるという、典型的詐欺の状況だった。どこかに罠はないか、どこかに嘘はないかと、急いで考えを巡らせる。
カウンターに対座する胡散臭い(としか見えない)男に尋ねる。「他の乗客はどこ?」「入り口周辺の連中がそれだ」「バス料金は本当に300ルピーだけ?」「そう、300ルピーだ」「目的地はニューデリー駅で間違いないか?」「ああ、ニューデリー駅だ」
アグラからデリーまでの直行バスなので、細工の余地も少なそうだった。それでも安心し切れないが、かといって手持ちの鉄道チケットでは深夜1時以降の到着が確定している。その事実が決断を余儀なくした。危なそうだったら、バス代300ルピーくらい捨てれば良い。血が逆流するかのような感覚の中で「じゃあ、1枚」と申し出た。
いったん決断すると案外落ち着いた。とりあえず後は待つだけなので、トイレでも済ましておこうと場所を尋ねると、黙って外を指差す。そこには壁しかない。そういうことだった。
17時過ぎにバスが来た。乗客が乗り終えると、いざデリーに向けて出発、のはずが数分移動したあと停車してしまった。外を見ると屋台が隣に付けていて、調理しているのは何とさっきまで前に座っていたおやじだ。つまり最初からここに停まる予定だったということ。雲行きが怪しくなってきた。
その後、集団がどやどや乗り込んできたかと思えばすぐに出て行く。誰かを待っているのか、そうならなぜすぐ近くの旅行会社前でなくここで待つのか、皆目見当が付かない。「最悪の運行システムですね」隣のインド人の青年が話しかけてきた。話してみると、彼も鉄道遅延を避けてこちらのバスを選んだという。ここで初めて安心を担保。バスは1時間後の18時に出発した。
バスは”デラックス”という謳い文句だったが、実情はオンボロ中古。窓は一応閉まるものの、振動で少しずつ開いていく。それでも脇の窓は自分で閉め直せばいいが、前後の座席の窓はそうはいかず、そこから入る隙間風は、夜が更けるに従ってますます冷たい。頼むから閉めてくれ。
そのうち隣の青年が歌い出した。曲目はマイケル・ジャクソンの「Beat it」。歌詞で判別できたもののひどい音痴だ。滞在中、ほかにも人目を憚らず歌うインド人を見かけたが、悪いとは言わないまでも、他人はお構いなしのお国柄が出ているようではあった。
20時を過ぎるといつの間にか周囲は霧に包まれている。フロントガラスの先は真っ白で視界はほぼゼロ、前2台のバックライトの点滅が宙に浮いたように見えるのみ。そんな状況でも猛スピードでぶっ飛ばす。霧が濃ければさすがにスピードを落とすが、150km/hは出してたのではないか、生まれてこの方こんな速いバスに乗ったことが無い。運転手の傍らにいたバスガイドみたいな男は、隙間風を防止するためか、目だけ出す形でカフィーヤを顔全体に巻きつけている。まるでテロリストだ。
21時、バスは人気のない高架道路わきに停車し、バスガイドが一声掛けるや、乗客全員一斉に立ち上がり降車し始めた。ここが終点らしい。仕方なく降りると、数台のオートリキシャが待機している。現在地の見当がつかないが、ニューデリー駅まで移動しなくてはいけない。空車を探していると、夕方バスを待つ間会話したオーストラリアっ子が乗りこんでいるのが目に入った。
シェアしようかと思ったのと同時に、先方からも「もし目的地がニューデリー駅なら一緒に乗らない?」と声を掛けてきた。20代前半の可愛い子でもあったので、夜分に運転手と二人きりになるリスクを考えたのだろう。こちらにとっても渡りに舟。乗り込みながら「幾らで話ついてる?」「300ルピー」。すると運転手が振り向いて割り込んできた。「2人だと600ルピーだ」。そう来ると思った。
暫くやりあった後、女の子がiPhoneをかざして反撃する。「ここからニューデリー駅までたった40kmじゃないの。もっと下げて!」彼女はさすがインドで働いてるだけあって交渉慣れしてる。それにしても40kmとは。あの旅行会社のおやじ、何がニューデリー駅に着く、だ。
運転手は中々折れない。我々には車が絶対必要だけど、相手にすれば、他のバス乗客がいるから、譲歩させるのが難しい。自分としても、明日9時バラナシへのフライトがあるから、早く確実に宿に戻りたい。決裂した挙句別のリキシャが捕まらないという事態だけは避けたく、言い値の差も数百円に過ぎない。一人当たり彼女の元値300を下回りさえすれば良いと考えたから「500ルピー」と提示した。相手が「550」と返すところ、彼女も加勢し「500」と声を合わせる。もうそれ以上は下がらない。それで妥結。
運転手もアウトバーンはぶっ飛ばす。気温は5℃くらいだったろうが、まともに浴びる風は猛烈に冷たく、身体が震え始め、そのうちガチガチと歯の根も合わなくなった。着くまで異常に長く感じた。あとで調べたが、40kmといえば東京〜横浜間より遠い。ニューデリー駅着なら歩いて帰れたはずなのに、えらい地点に降ろされたものだ。それでもこれ以上妙な場所に連れて行かれず、日付が変わる前に無事ホテルに戻れただけ、御の字ではあった。
(2014/12/22)