気球&奇岩ツアー体験記 (カッパドキア)

【奇岩と気球】

未明、宿のフロントでひとり、カッパドキア気球ツアーの迎えを待っていると、やがて宿直のソファ男が起き出して「ピックアップは少し遅れる」とあっさり告げた。さもありなん、12月の日の出は7時前後だから、指定の5時半出発は早過ぎるはずだ。実は彼が宿のオーナーで、既にメールでやり取りしていた気安さもあって、暫し雑談で時を過ごす。

気球ツアーの参加客たちは各々の宿から一箇所の建物に集められ、そこでビュッフェ形式の朝食を摂った後、割当の車に分乗してスタート地点に向かう。少数ながら1人の参加者もいる。現地に着く頃ちょうど夜が白み始めた。それに合わせるかのように、球皮と呼ばれる色とりどりの巨大な布に熱風が送りこまれ、むくむく膨らみを増し始める。

熱風を注入し始める
命を吹き込まれつつある熱気球



バルーンに命が吹き込まれているうちに朝が来た。上空には気の早い気球がぽつぽつ上がり始めている。乗り物は長方形の4つの籠で構成され、1つの籠に6人乗り込めるので定員は24名。操縦員が各人の体重を適当に見繕って、個別に乗るべき籠を指示する。全員が配置につくと当たり前のように浮き上がり、高揚感を感じる間もなく地面がみるみる小さくなった。360度ガラス張りのエレベーターのようで、目の位置がどんどん高くなり、やがて山並みを見下ろした。

上昇中。岩の向こうからも気球が出現。
ゆったりと上がるので恐怖感はなし
穏やか風の中、さらに高度が上がる

周囲の気球たちも、ぷかりぷかり、とたくさん浮かび上がっていた。毎日80機ほど飛ぶそうなので、1,000人以上が浮いていることになる。空は雲ひとつなく、球体は大海の中の気泡の如く、眼下の岩は波を打っているよう。バルーンにはスピーカーが搭載され、ビートルズなどの洋楽ポップスがBGMで流れる。もっとも外国人受けを狙った選曲は、アナトリアの情景にそぐわない。

浮遊する気球たち
少しグロテスクな形状の岩

籠の内側の客は必然的に撮影ポジションが悪くなるが、そこは紳士協定で、お互い狭い中を入れ代わり立ち代わりし、撮りやすい位置を譲り合っていた。懸念の上空の寒さは、興奮もあったかもしれないが、さほど気にならなかった。乗り物の中央近くに寄れば、時折ゴォーと音を立てる熱気が肌に伝わって暑いほど。

操縦席付近は文字通りの熱気が漂う
気球が景色を彩る

昇りきれば、淡い橙色の朝陽が灰褐色の地上に照射し、澄んだ真青の空と絶妙の色合い、そこに気球群が点描され、一幅の絵になっていた。気球はわざと岩に近づくなど遊びながら高度を操作し、約1時間空にたたずむ。慣れは現金なもので、風光明媚な空中遊泳も、数10分も経てば高揚感は消え去った。1時間あれば写真も沢山撮れるし、充分満喫できるから、それ以上長いと退屈かもしれない。


朝日を浴びる荒野

特段アクションも無いから(あっても困るが)、これならVR映像でも疑似体験はできそう。事前の注意通り、ランディング時に軽い衝撃があったが、おかげで空に居た現実を実感できたほど。気球ツアーはお薦めではあるが、一度体験すれば満足。安全面では、過去死亡事故もあるものの、膨大なのべ参加人数からすれば確率は極めて少なく、大抵大丈夫だろう。

降下にともない大きくなる地上

その後、地上帰還を記念してシャンパンが振る舞われた。操縦士が挨拶し「昨今はユーザーの評価の影響力がますます大きいので、皆さんにはぜひ良いレビューを」と懇請があった。自分から頼んだら、それこそレビューに関わると思う。


【巨大地下都市の謎】

カッパドキアを回るツアーは主に、北部方面の奇岩を巡る半日レッドツアーと、南部方面の地下都市と渓谷を回る全日グリーンツアーに大別される。気球のあと丸一日空くからグリーンを選択した。9時半スタートなので、気球ツアーから戻った後からでも時間的には参加可能。各種ツアーの棲み分けや、完成されたツアープログラムなど、世界的な観光スポットだけあって、やり方が確立している印象だ。

グリーンツアーでの一風景

グリーンツアーの行程は以下の通り。
参照:ウォルナットハウスHPグリーンツアー行程

①エセンテペのパノラマビュー
 (GOREME ESENTEPE)
②デリンクユ地下都市
 (DERINKUYU UNDERGROUND CITY)
③ウフララ渓谷トレッキング
 (IHLARA VALLEY - TREKING)
④べリスルム村で昼食
 (BELISIRMA AND LUNCH)
⑤セリメ大聖堂
 (SELIME MONASTRY)
⑥鳩の谷
 (PIGEON VALLEY)

訪問スポットにはそれぞれ特色があってハズレが無く、充実した内容だった。ウフララ渓谷トレッキングのほかにも歩く機会が多く、急斜面などもあるので、歩きやすい靴で臨みたい。参加者は10人ほどの多国籍軍で、ユニットとしてはちょうど良かった。

残雪のエセテンペ

まるで異星の様な荒涼の地にも人々の足跡はちゃんと残っていて、その最たるものがデリンクユ地下都市。カッパドキアにはこのような遺跡が幾つかあるが、理由はこの地帯の岩盤が凝灰岩という火山灰の堆積で、掘削がしやすかったため。地下は85メートルまで掘り下げられ、生活に必要なあらゆる設備が備わり、空気と水は綿密に管理されている。1万人もの人数が居住可能らしい。

張り巡らされた通用路は迷路さながら。他のツアーも何組か入り込んでいて、方方から説明が聞こえてくる。集団からはぐれないよう気を付けているうち写真を撮り損ねてしまった。まるで下に向かって伸びる高層ビルのようだが、これでもまだ調査途中で全体の一部というから驚く。

誰がいつ地下都市を造り始めたかは諸説あり、ローマ時代には迫害から逃れるキリスト教徒の隠れ家だったとも言われるが、これほどの規模だから、よほどの事情があったのだろう。近年、ネヴシェヒルでここを更に上回る地下都市が発見されている。必死の人々が生み出すエネルギーは凄まじい。造営だけでなく、太陽の光が届かない場所で暮らし続けるという、過酷さに耐える力を含めて。
参考:デリンクユの地下都市の謎に迫る(カラパイア)


【トレッキングに行こう】

ウフララ渓谷では1時間半ほど歩く。遊歩道が整備されており、絶景トレッキングには疲れが吹き飛ぶ爽快さがあった。先程の天井低く暗い地下道とのコントラストも面白い。所々の雪化粧は冬場ならではの趣だったが、坂道は滑りやすくなっている箇所もあり、転倒時に備え両手をポケットから出しておくようガイドから注意があった。受け身を取れずに頭を強打し病院送りになった客がいたそうだ。

ナイフで切ったかのような断崖
雪化粧の渓谷

岩窟教会の壁画にはナザールボンジュウと呼ばれる、トルコの土産屋でおなじみの青い目玉が描かれていた。これは人間の妬みや悪意の視線=邪視を防ぐためのお守りで、ネット社会である現代にも需要がありそうなアイテム。古来から信仰されているところに、今と何ら変わらぬ人間の性を感じる。

壁画の下部に青い目玉が描かれている

一行はそれぞれ歩くスピードが違うので、歩いているうちに間隔が離れる。先頭でガイドの男と喋りながら歩いていると、そのうち当たり前のように腕を組まれたのには戸惑った。中東ではそういう警戒が必要なケースがあり、もしや今がそれなのか? 後ろからはクスクスと忍び笑いが聞こえてくる。「日本だとこの格好は同性愛なんだけど」と切り出すと「そうか」と気にする風もなく腕を離した。何なんだ。

住居のあとが残っている

とはいえこの男はバイタリティ溢れる明るいおっさんで、おかげでツアーの雰囲気も賑やかだった。知識や事務能力だけでなく、気配りや元気といった側面は、ガイドの大事な資質と感じさせられた。暗い性格だったり独りよがりだったら、ツアーの印象もまるで違ったものになるだろう。

こんなことがあった。下り坂に差し掛かった際、下からガイドが「そのポイントを進め」と指示するので、見ればアイスバーンになっていて、先着の仲間も「やめとけ」と手を振っている。わざと尻もちをつかせる悪戯だが、中には期待通りにすっ転ぶ客もいて、都度みんな大笑いになった。「とんでもない野郎だ」と毒づく客もあったものの、そんなひと工夫(?)で山歩きの雰囲気が和んだのも確かだった。

そびえ立つ大聖堂

ツアー後半では若干体力を試される。セリメ大聖堂や鳩の谷では急斜面を登っていく。岩の表面はザラザラで滑る心配はないが、手すりなど無いので、足場に気を遣いながらしっかりバランスを取らなければならない。難易度は高くないものの、あえて無理せず登るのを諦める参加者もいた。

セリメ大聖堂からの眺望
「窓」から差し込む青光が岩窟内を照らす

広範囲を回るグリーンツアーではバス移動が長い時間帯もある。冬のアナトリアの景色は緑に乏しく白っぽいが、果てしない地平線に連なる山々は、周りに遮蔽物が無い分麓から頂上までが丸見えで、そのシンプルさゆえ雄大に映える。夕方には疲れがピークに達し、皆ぐったりした様子で眠っている。

最後はお決まりのお土産屋に連れて行かれるが、工芸品の製作現場の見学はそれなりに見ものだった。もっともスケジュールが押した為、ツアー終了後に空港に向かう予定だった客が、このままでは間に合わないからと途中離脱を申し入れる一幕もあった。解散予定時刻は目安程度に考えた方が良い。


【暖炉と何もない夜】

日が暮れてからのギョレメはすることが無い。ツアー解散後、そのまま夕食を摂ろうと街を歩いたが、冬季という事もあってか人通りは乏しく閉まっている店も多かった。レストランでは名物の壺ケバブ(テスティケバブ)を注文した。ケバブと野菜が入った壺を焼いて煮込み、それを目の前で割ってくれる。値段は若干高めだが、壺自体とそれをコツンと叩き割る瞬間が料金に含まれているのだろう。趣向に食欲をそそられ過ぎたせいか、味は塩気が薄くちょっと物足りなかった。

インパクトがあったのは中身も知らず頼んだスープの方。ポタージュのつもりで何気なく一口すると、塩味にともない強烈な酸味が口中に広がって一瞬びっくり。けどヨーグルトにニンニクや塩を入れたものだと気が付くと、違和感が途端におさまった。正体を知らずに食べると味覚が狂うらしいが、まさにそれ。ヨーグルトはトルコ起源という説もあり、様々なシーンで当たり前のように顔を出す料理の源のひとつ。美食である以前に健康的だ。

ジャジュクというヨーグルトのスープ

帰りしな夜のお供にビールを求めた。トルコはイスラム圏ながらお酒に寛容で、売店でも普通にビールが置いてあるが、サイズはなぜか500ml缶のみ。宿のロビーには立派な暖炉が誂われ、団欒に適した広間にだった。ソファに深く腰を下ろして、トルコで初めての酒を喉に流し込み、暖炉の火を眺めるひとときはひたすら穏やかだ。

暫くのち、ツアー仲間だった中華系アメリカ人のアナが戻ったので一緒に飲んでいた。そのうち酔いと疲れで眠くなってくる。「そろそろ部屋に戻ったら」と勧めるので「そっちこそ明日早朝の気球ツアーに備えれば」と返すと「そうしたいけどまだ夜の9時だし!この街には本当に何もないんだから!」とぶちまける。

団欒に適した宿のロビー

それが自分がまだ切り上げない理由でもあった。寝るには早過ぎる時間とはいえ、外はすでに静寂と暗闇の世界で、出掛けるあてもない。ギョレメの夜にもベリーダンスディナーなどのような催しがあるにはあるが、昨夜の強行軍から日中ツアーを終えた後にはそこまでの余力はなく、さりとて田舎では持て余した時間の使い方も見つけかねるのだった。


【スカーフについて】

眠気に負けたアナが部屋に上がると、そばでMacBookを操っていた昨夜のレセプション美少女(名前聞くの忘れた)が話相手になってくれた。イスタンブール出身で化学専攻の大学生との事で、20歳前後ながら若干あどけなさが残り、綺麗と可愛いの合間という感じ。身体つきは華奢、亜麻色のロングヘア、色白で彫りの深くない端正な顔立ち。

トルコ人の容姿は多様だ。もとは中央アジアの草原からやって来た人達だが、広範な地域で混血し、ここトルコ共和国に居住する人たちも、ざっくり中東系や欧州系など様々で、それらが綯交ぜになってトルコ人の顔になっている。出自がアジアながらアジア色が最も薄いのは、オスマン帝国が征西の末に成り立ったがゆえ。トルコという国がアジアかヨーロッパかという小咄は、見方によって変わるのだろうが、外務省のページには中東地域の大国と表現されている。

その時は気に留めなかったが、彼女はスカーフを被っていなかった。政教分離の国是だが、近年はイスラム保守化の空気も興り、女性の服装についての議論も時に喧しい。かといって、個人の自由を尊重すべきと主張するなら、女性公務員のスカーフ着用の解禁などは進歩とも言える。今後トルコがどうあるべきかに繋がるテーマのひとつで、個人のアイデンティティを示す以上、気分に応じて被ったり外したり出来ない点、重たい小物だと感じた。

会話が一段落したところで彼女がチャイを勧めてきた。近くに居た人たち全員にも希望を聞いて回り、振る舞ってくれる心遣いはきれいなものだ。この子の気立て良さもさる事ながら、そんな文化を持つトルコに安らぎを覚える。コミュニケーションを円滑にする習慣は、多民族が暮らす国ならでは知恵なのかもしれない。

(2013/12/27)