宝石とハレム (イスタンブール 3)

【ムハンマドの髭】

宝石とハレムという煩悩の象徴が、昔日の帝国の中心トプカプ宮殿に遺されている。スルタンアフメット地区東端の海を望む丘陵に位置し、ブルーモスク、アヤソフィアと隣り合わせなので、3つまとめて回るのが一般的。閑散期の12月末は開館後すぐに入場できたが、通常期はミュージアムパス持参が便利。

宮殿の入り口「帝王の門」

見所は敷地に散在しており、漠然と歩くよりは、優先順位をつけて建物を回った方が効率的。宮殿は外廷、内廷、ハレムの3つのエリアに区分され、入場口の付近が外廷、直進すると宝物館を含む内廷に達し、その左側にハレム(別料金)がある。
参考: トプカプ宮殿構造図(asahi.com)

はじめに内廷のスルタンの私室を見学する。第二中庭を中心とする外廷と同様、内廷も第三・第四中庭を建物が取り囲む構成で、ヨーロッパの宮殿のように巨大な一棟内に無数の部屋があるのとは異なる。目につくのは各部屋の家具の少なさ。椅子やベッドの代わりに、スペース充分のソファが横たわる内装はシンプルかつ機能的で、空間の広さが心地よい。絨毯は一昔前の日本家屋でもよく使われていたので懐かしさすら感じる。

座り心地良さそうなソファ
無機質な印象を与える居室

噴水があつらわれている部屋もある。水が貴重な中東圏では、噴水装置は富と権力の証とされるが、水音には密談を掻き消す役割もあった由。真偽は知らないが。

アフメット3世居室の三層仕掛けの小噴水

スルタンの私室に隣接する聖遺物館には預言者ムハンマドの髭が展示されている。ひとかけらの縮れ毛は、もし本物なら貴重なものだが、そのわりには出口付近の目立たぬ場所に配置され、気付かず通り過ぎる人も多い。偶像崇拝は禁忌だけに、最高預言者の髭も例外ではないということだろうか。

聖遺物館から庭を挟んだ対面には宝物館がある。ことに三日月型の短剣の柄に翡翠色のエメラルドを3つ埋め込んだ宝剣は完成度高い工芸品。他の宝物も入念にデザインされ貴石を活かしていて、磨かれた石の美しさは関心の薄い自分でも楽しめた。

ハレムは整然とした集合住宅という趣き。実際、妻妾たちのアパートだったそれは、簡素な外観で贅を尽くした風もない。現代に通じる部屋の均一性には、平等さも感じられ、過剰な演出を免れている分、かえって当時の空気感が伝わってくる。

妻妾たちの集合住宅

古今東西、後宮で子をなした母親には一族もろとも栄達が約束されるが、ここで暮らす女性には残酷なルールがあった。皇位継承者以外の子は抹殺されるという掟がそれ。

空いている時間帯のハレムは閑静

オスマン家は数世紀間、名君を輩出し続けた稀有な一族だったが、その秘訣のひとつに遊牧民的慣習でもある兄弟殺しがあった。硬直した嫡子相続より、勝ち抜いた子が跡を継ぐ自由競争の方が、有能な君主が出る確率が高く、且つ後継争いの種を断つことで、内紛による国力の疲弊も防ぎ得る。即ち安定を維持する為の必要悪だった。

窓が小さいので内部は薄暗かった

ゆえにほとんどの場合、この慣習は男子を産んだ女性の悲劇になった。下世話な連想をされがちなハレムだが、れっきとした国家機関であり、苛烈な生存競争の現場。結局兄弟殺しは17世紀初頭に廃止されるが、偶然か否か、その頃からオスマン帝国の衰退がゆるやかに始まる。


【レジェンド建築物】

15世紀建造のトプカプ宮殿に対して、アヤソフィアはそこから約1,000年遡った過去からすでに存在し、オスマン帝国が興って今日まで1,000年経っていない事を鑑みると、その来歴の長さが実感される。現在の大聖堂は6世紀前半に建てられた3代目だが、それでも日本の法隆寺より古く、戦乱や破壊行為を経ながらも、教会からモスクそして博物館へと、常に人々が集う場であり続けている。石の建築は後世に残り続けるタイムカプセル。アヤソフィアのような古代史跡は、造った人達、そして壊さなかった人達の合作でもある。

人類史有数のランドマーク
高い天井が印象的な内部

内部は外壁のオレンジ色に対応するように暖色で満たされ、数多くの小窓を通しドーム内に差し込む光が荘厳だった。今日遺る2階回廊のキリスト教モザイク壁画は、一度はイスラム教徒によってに漆喰で塗り潰されたが、そのおかげで聖画が保存される結果になった。8世紀キリスト教徒の聖像破壊運動で、多くのイコン(聖画像)が失われた史実を思うと皮肉だ。

キリスト教のローマ帝国、イスラム教のオスマン帝国、1,500年近く両方の人々を包み込んできた建物は世界でも稀で、東西文明が交わる地に相応しい伝説的建築物には、美術的な観点より風格の方が印象に残った。

破壊を免れたモザイク

ランチはアヤソフィア近くのキョフテの老舗食堂、セリム・ウスタ(Selim Usta)で摂った。メインストリート(Divan Yolu)沿いだけに店内は満員、案内されたテーブル席は相席。キョフテは見栄えはパッとしないが味付けは絶品、完璧な焼き加減は単なるハンバーグを超えている。パンに挟んで食べるともっと美味。ただし量は多くないから、空腹時なら別メニューと合わせて2皿くらい注文するのがベター。立地が便利で、料理も出るまで早くかつ廉価なので、スルタンアフメット地区で地元の食事を楽しむにはお薦め。

素朴なキョフテには驚きの美味しさが詰まっている

ちなみに屋台でよく見かけるシミット(ゴマをまぶしたドーナツ型のパン、屋台では1リラ)も、飽きのこない薄い塩味とふんわりした食べ心地が絶妙。小腹がすいた時に良さそう。

薄暗い光に演出された地下宮殿

セリム·ウスタから東へ少し歩くと地下宮殿(バシリカ・シスタン )がある。貯水槽として造られた施設だが、建築上手のローマ人が造っただけに、確かに宮殿のごとき出来栄え。わざと逆さまに置かれたメデューサの石柱は、顔が彫られていようが石材は石材だという主張に見えなくもない。地下ながら水に浮かぶ神殿の光景は神秘的で、澄んだ水中には、何を餌にしているのか小魚たちが心地よく泳いでいた。


【猫とモスク】

イスラム教の礼拝は1日5回と定められているが、時間帯は時期によって異なる。ブルーモスクは現役のモスクなので、礼拝時間は入場出来ない。訪れた時ちょうど礼拝と重なったが、生活のリズムを実感した気もして、のんびり待つのは悪くなかった。

礼拝中につき入場不可を告げる看板

モスクにもお国柄があって、ここトルコの特徴は、ドーム型にミナレット(尖塔)の組み合わせ。様式はアヤソフィアに影響を受けており、共通点を探するのも一興。ブルーモスクの名は白と青みがかった色調が由来で、対面のアヤソフィアの橙色と対照的。

先輩アヤソフィア
後輩ブルーモスク

あたりでは猫があちこちで昼寝している。ムハンマドが猫好きだった為、今日でも大切にされているという、イスラム圏特有の長閑な光景。モスクの敷地内も同様で、寺院と猫の組み合わせが絵になっていた。

日向ぼっこするネコ
広い中庭で待機中

礼拝が終わり、我々異教徒がぞろぞろ入場させて頂く。土足は厳禁、入口でビニール袋に靴を入れるところは仏教寺院と同じ。端の方では説教がまだ続いており、敬虔な空気が漂う一角を遠目に見つつ、絨毯に腰を下ろし、天井を見上げた。曲線と直線が組み合わさった構造、壁面を埋め尽くす細密なレリーフと全体の鮮やかな色彩が見事。

直線と曲線で装飾された天井

モスクでは特段何をする事もないけど、それが充足した時間になる。周りの人たちと同じように、絨毯であぐらをかいてぼんやりしていると、そこに溶け込んでいくような感覚を覚え、眠気を感じ始める。疲れが抜けていくと同時に、頭と身体に活力がチャージされるようで、1日のリスタートにちょうど良かった。

内観は細密で美の極致
敷き詰められた絨毯が居心地良い
焼き栗と甘くて温かい冬の飲み物サーレップの屋台


【カッパドキアの入口】

夕方はカッパドキアに向けて発つ。イスタンブール第二の空港ザビハ・ギョクチェン(Sabiha Gokcen)からカイセリ空港(Kayseri)まで飛び、そこからギョレメ(Göreme)へと移動する。ほかにはネヴシェヒルやユルギュップも拠点候補。
参照:カッパドキアのエリア

ブルーモスクをあとにし、ホテルで荷物をピックアップしてから、エミノニュの船着場まで歩いた。フェリーでアジア側のカドゥキョイ(Kadıköy)に渡り、空港バスのハバタシュ(Havataş)に乗り継いで、ザビハ・ギョクチェン空港へ。ハバタシュは新市街タクシムからも出ているが、カドゥキョイから船で大陸間を横断したかったので。

エミノニュ〜カドゥキョイ間の連絡船は20分ほどの間隔で出発している。イスタンブールカード使用可で、待合室には行き先と出発時刻が電光掲示で表示される。船内は広く揺れも殆ど無いので乗船時間の30分が短かく感じられた。

エミノニュ船着場の待合室
フェリー内の様子

カドゥキョイ船着場とハバタシュの停留所は隣合わせ。空港バスは30分間隔で出ているから、その辺に停まっている大型バスか、ハバタシュの看板が目印になる。運賃はバス内で直接料金(10リラ)を払う。空港へは通常1時間も掛からないが、往路(空港→タクシム)では渋滞にはまり2時間以上要したので、時間には余裕を持っておきたい。

ザビハギョクチェンからカイセリまでは、LCCペガサス航空を利用。1時間20分のフライトで21時半到着予定。安い便なら片道約3,000円からある。カッパドキアの空の玄関口は他にネブシェヒル空港(Nevşehir)もあり、距離的にはこちらの方がギョレメに近いが発着便数は少なめ。条件は大差ないので、到着空港に拘る必要性は少ない。

長距離バスの選択肢もある。移動に約10時間かかるものの、体力に自信のある人や夜の現地着が不安な人は、夜行バスでカッパドキア朝着、すぐ観光というプランも可能。ただバス会社によって快適度が違ったり、目的地によっては乗換えも必要なので、飛行機ほど分かりやすくはない。
参照:トルコ長距離バスを究める


【ギョレメ到着】

ギョレメの宿はウォルナットハウス(Walnut House)。この宿を通して、気球ツアーと観光ツアー、そして空港往復の送迎バスを予約済みだった。カッパドキア観光はツアー参加が定番だが、旅行会社の機能を併せ持つ宿経由で手配すると、送迎面を含めて便利。その場合ディスカウントの余地もあるので、積極的に交渉してみたい。

空港送迎バス(ミニバン)は、先方にフライト便名と時刻を知らせておき、それに合わせてピックアップされる段取りだが、定刻通りカイセリ空港に着いた時、迎えらしい人は来ていなかった。他の観光客も同じらしく、しばらく数十人の迎え待ち旅客が出口付近にたむろしていた。

そのうち宿泊客名簿を手にしたドライバー達が現れ始めると、担当客を次々にいざない、自分もようやく名前を呼ばれ、指定されたミニバンに乗り込んだ。外に出た瞬間、厳しい冷気を肌に感じた。雪があちこちに積もり、路面は所々氷結している。夜の気温は5℃を下回り、イスタンブールより一段寒い。

約30分後に全員集合し出発。後部座席の欧米若者組のテンションが異様に高く、気持ちは分かるが喧しい。車窓からトルコの田舎を眺めてると、日本とどこも似ていないにも関わらず、不思議に郷愁が湧いた。

ギョレメの街には1時間ほどで着き、宿泊地別に乗客を降ろしていく。ウォルナットハウスはすでに消灯され、あたり一帯は暗闇に包まれていた。前庭を通り抜け玄関に達すると、鍵は掛かっておらず、室内正面のソファには宿直だろうか、30歳代とおぼしき男がぐうぐう眠っている。この時間に到着客が来るのは伝わっているはずなのに、のんきな事だ。

とりあえず「ハロー」と呼びかけると、ふいに真横から「ハロー....」と女性の寝惚け声が応え、ぱっと灯りが点いた。この状況に不釣り合いな美少女が、眼をこすりながらそこに立っている。「宿泊の方?...ちょっと待ってね」

幸い予約漏れはなく、岩造りの独特な部屋に通され、ほっと一息。けどこれからが忙しい。5時半に気球ツアーに向かい、終了後一旦宿に戻り、9時半からはカッパドキア観光ツアーに再出発する。手早く就寝しなくてはならない。

シャワーを浴びた瞬間、右手親指の内側に刃物が触れたような痛みが走った。驚いて手の平を見ると、いつの間にか、関節に赤い割れ目がぱっくり開いている。保湿クリームは持参していたが、あかぎれは生まれて初めてで、こんなに痛いとは。乾燥したアナトリア高原の洗礼を受けた気がした。

(2013/12/26)