世界三大料理のひとつ (イスタンブール 1)

最後にイスラム圏を訪れたのはイラク戦争前の1999年。その時はヨルダンとエジプトを旅したが、治安は極めて良く人々も親切で、友邦に居るような感覚があった。その後世界情勢が変わり、一部過激派の蛮行によって、イスラム教がネガティブにクローズアップされる事もある。かといって広大なイスラム圏全体が危険なわけでは当然なく、トルコがその渦中にあったわけでもない。今回はそのトルコ旅行の顛末。


【轟くアザーン】

ウィーン国際空港13時10分発、ケマル・アタテュルク空港16時30分着。イミグレを通過後、ATMで現地通貨をキャッシングしてから、別棟の地下鉄空港駅に進む。駅改札手前に設置してある販売機でイスタンブールカードを購入。昨今大都市ならどこにでもあるプリペ型ICカードで、市内各種交通機関を網羅し、割引運賃も適用される必携アイテムだ。
参考: イスタンブール空港から市内へのアクセス方法

ホテルは観光名所が集う旧市街スルタンアフメット地区のブルーモスク近くに予約済み。空港駅M1A線からゼイティンブルヌ駅 (Zeytinburnu) でT1線に乗り換えて、スルタンアフメット駅 (Sultanahmet) へ。路線図はこちら日本語版)。

車窓から眺める街並みは、午前中いたウィーンに比べ少しくすんだ感じ。そのうち近代都市らしからぬ古色蒼然の城壁(コンスタンティノープルの大城壁)が現れ、その偉容に目を見張った。計画的に城壁を撤去したウィーンと異なり、イスタンブールではそれが依然街の顔になっている。城壁を通り抜けトラムは旧市街へ入る。車内はいつしか満員になっていた。

空港から50分ほどでスルタンアフメット駅に到着。ローマ時代の競馬場跡と、6本のミナレットを備えたブルーモスクをやり過ごし、ホテルがあるはずの南方面へ歩くと、やがて入り組んだ小路に入り込み、はからずもマルマラ海に出た。波音に立ちはだかる城壁は壮観たったが、薄闇の中、初めて来た国で道に迷う状況は心落ち着かない。

ちょうど礼拝時間になり、あちこちのスピーカーから大音響でアザーンの朗唱が流れ始めた。イスラム圏内を実感するこの慣習も、現在地も分からず、闇が濃くなる環境では、不安を増幅させるだけ。GPSで現在位置も取れなかったので、先ずは落ち着き、地図に記された路地名と、傍らの標識とを見比べながら、ようやく目的のホテルを見つける事が出来た。

チェックインが済むと、ホテルは旅行会社を兼ねているらしく、そのままツアーの案内に移った。このパターンは慣れたアジア旅と同じで、勝手知ったる流れに妙な安堵感。それに商談とはいえ現地の人とのやり取りは、気持ち的にこの国に馴染むきっかけになった。ただしイスタンブールではツアーに参加する予定は無し。

夕食に出ると、ブルーモスクとアヤソフィアの間にある公園、スルタンアフメット広場で、旅行者だというアラブ系の男2人組に話し掛けられた。軽い雑談のあと、今からどこへ行くのかと聞かれたので、食事だとついまともに答えると、ぜひ一緒になどと言う。冗談じゃない。理由をつけて断ったが、罠に嵌りかけていた事にはこの時気付いていなかった。


【三大料理はダテじゃない】

シルケジ (Sirkci) という金角湾側のエリアに美味しい店があるという。スルタンアフメット地区からは北へ徒歩約10分。市街は港街らしく勾配地形で、坂を登ったり降りたりが頻繁。少し埃っぽいところは、やはりアジアや中東旅行を思い起こさせるものがある。

ふいに「何か落としましたよ」と、すれ違いざま日本語で声を掛けられた。え、と驚くと、その男は何事もなく去って行った。訝しんでいると今度は別の男が、まったく同じ台詞を投げ掛ける。絡む雰囲気は一切なく、単にそれが言いたかっただけらしい。しかも発音は滑舌良く正確。何なんだ。

胡散臭い雰囲気を感じながら、とある売店でミネラルウォーターを調達した。通貨単位のトルコリラは"₺"と表記され、ひらがなの「も」に見えて可笑しい。500mlのボトルと引き換えに若い店員に2リラ渡すと、「2₺の値札は1Lボトルの値段だよ」と硬貨を1枚返し、にっこり笑った。相場が掴めてない初日はよくこんな事があるが、正直な対応はプライスレス。

19時半過ぎの夕食時だったが、有名店ジャー・ケバブ (Şehzade Cağ Kebap) は運良く空いていた。出てきた串は一見何の変哲もなかったが、炙られた羊肉を口にした瞬間、五感に稲妻が走った。美味い!ジューシーなのに油こくなく、味が染み込みスパイスも絶妙。しかも薄いパン生地であるユフカに、ケバブとサラダと合わせて包むともっと美味。

串をジャーと呼ぶからジャーケバブ という

レンズ豆のスープもシンプルながら完成度が高く、レモンを添えるあたりにもセンスを感じる。無料で出されるパンは、ふわふわながら噛みごたえもあって、そのままでも食べ飽きないレベル。スープに浸すとなお良かった。十二分に満足して、料金は800円ほど。

付け合せのサラダとスープ。パンは無料。

トルコ料理は期待はしていたけどこれは想像以上。ドイツ圏での食事は腹を満たせば良しと割り切っていたから、落差分だけ衝撃が強かったのかもしれないが、この後どんな美食にありつけるかと浮き浮きしてきた。

世界三大料理にトルコがランクインしてるのは、東洋の中華と西洋のフランスの中間という地域バランスだろう。自分が選出するなら、中華料理は不動として、あとはインド料理とイタリア料理になる。理由はインドのカレーと、イタリアのパスタ&ピッツァは、世界中のテーブルに欠かせないから。にも関わらずこの2つが漏れているのは、そもそも3つに絞るのは無意味という証拠。

昨今ケバブ屋台は普遍的になったが、これをもってトルコ料理の広がりとは言えないにしても、認知度は随分高まった。美味しいものは常に受け入れられる。ひと昔前の日本では、アジア各国の料理はエスニックと総称される向きもあったが、タイ料理やベトナム料理は今や立派なジャンル。翻って海外ではすでに日本食はポピュラーな存在で、都市であれば和食店は簡単に見つかる。グローバルに認知される料理が増えれば、近い将来、五大料理とか七大料理とかいう呼称も出てくるのかもしれない。


【怪しい広場】

シルケジからスルタンアフメット地区へは、トラム沿線に沿って歩けば人も多く、夜でも危険は無さそうだった。ライトアップされたブルーモスクとアヤソフィアは、街の象徴たる圧倒的な雰囲気を醸し出していて、イスタンブールに来たという実感をいやが上にも高めてくれる。

夜のブルーモスク

この景色とさっきの美食で気持ちが高揚し、しばらく広場の大噴水を散策していると、さいぜんの2人組が腰掛けているのが目に入った。向こうもこちらに気付いたようだったが今回は無視。その様子で、あれは旅行者じゃなかったんだな、と悟った。

夜のアヤソフィア

しばらくすると別の2人組が声を掛けてきた。今度は少し警戒しながらも「これからクリスマスイブのイベントに行くんだ」と言うのに、ほう、と興味を示してしまうと「一緒に行かないか」とまた食いつかれてしまった。「俺たち2人で行くつもりだったから、一応連れにも聞いてみるが・・・ああ、彼もOKだそうだ」小芝居のくせに何がOKだ。芸の細かい奴らだった。

芸の細かさと言えば、別のやり口で「写真を撮ってくれないか」というのもある。応じるとそれをきっかけにまとわりつかれる。翌日の話だが、そんなのが数回続きイライラが高じていたので、ある時そっけなく断って通り過ぎようとした。すると「おい、頼んでるだろう!」と小突いてきたので、頭にきて相手のスマホを取り上げ、自撮りモードにした状態で「そんなに撮りたいなら自分でやれ!」と突き返した。意外な反応に驚いたのか相手はやや態度を改めたが、それでもまだ頼むから、やむなく応じたものの、もうこの広場を歩くのがいやになった。

連中は過度に強引でもしつこくもないので、関心を示さず断るのが肝要。もしついていけば、ぼったくり店で有り金を巻き上げられる顛末が予想されるが、お金で済めばまだマシという事態もあり得る。壮麗な世界遺産を目の前にしながら、変な客引きのせいで心ゆくまで楽しめないのは残念だった。昨今はこのスルタンアフメット地区やアタテュルク空港で大規模なテロ事件も発生しており、訪れた2013年当時より治安が悪化している状況は痛ましいことだ。


【チャイの風景】

ホテルに戻るにはまだ早かったので、小奇麗なレストランに立ち寄った。注文した一品はイズミル・キョフテといって、トルコ風ハンバーグとぶつ切りのジャガイモ。トマトの酸味と良く合う組み合わせで、日本人にも違和感なく味わえる料理だった。ジャガイモが程よく煮込まれていて、一皿では量が少なすぎるほど。

イズミル・キョフテは肉じゃがトマト風味

このあとチャイが出た。砂糖を入れていただく。紅茶の味の違いが分からないが、ウエストが少しくびれたグラス形状と、ガラスに透ける琥珀の色あいの、完成された造形に引き付けられる。大げさに言えば、チャイが手元にあるだけで、居場所ができたような落ち着きをもたらしてくれる。グラスはまともにつかむと熱いので、指先で縁を持ち、ふうふう冷ましながら飲む。だからといって、容器に取っ手を付けたら趣が無くなるから、これでいいのだ。

チャイは普段角砂糖が添えられる事が多い

12月末のイスタンブールは平均気温が5〜10℃前後で、南下した分、オーストリアより心持ち暖かい。帰り道、メイハネと呼ばれる居酒屋から賑やかな音楽が聞こえてきた。ライブ演奏に合わせて、大勢のお客が楽しげに踊りに興じて盛り上がっている。メロディはトルコで流行りの曲らしく、ローカルな感じがいかにも良い。自分のモードも、ウィーンからイスタンブールへと染め替えられていくようだった。

(2013/12/24)