アーティストを育む街 (ウィーン 4)

【楽聖の遺書】

日本におけるベートーヴェンは、音楽家より偉人としての存在感の方が大きいかもしれない。「運命」や「第九」のフレーズは確かに聴き馴染みだが、全楽章を聴いた人の割合はぐっと減るはずで、それは曲に親しんでいるとは言えない。つまり彼の人気と知名度の理由は、楽曲への嗜好というよりは、難聴を克服して偉業を成したストーリーにこそあるのではないか。少なくとも自分はそうやってベートーヴェンに出会った。

ハイリゲンシュタットは彼が遺書を書いた事で知られる街。苦難の時期に彼が眺めた風景を見、歩いた道を踏んで、偉人伝を追体験しようと思った。

ベートーヴェンが散歩した道

最寄駅はU4 ハイリゲンシュタット駅 (Heiligenstadt) で、Sバーン(郊外電車)S40, S45も乗り入れている。 駅からは38A番バスに乗って約10分、アルムブルステルガッセ (Armbrustergasse) 下車。バス進行方向に歩き最初の角を右折、その次の角で左折したところにベートーヴェン・ハウスがある。バス停から徒歩5分。
参照: ウィーン路線図 (JPEG)

Sバーン車両内は特急列車のようにきれい

いつも通り道に迷い、近くの人に道を尋ねたら丁寧に教えてくれた。訪墺以来、人あたりに少し取っ付き難さを感じていたから素直な感謝が湧き、"Thank you"ではなく、"Danke schÖn"と、生まれて初めてのドイツ語が自然に出た。

ベートーヴェンの家。国旗が目印。

先客は老若男女みんな日本人だった。ウィーンカード割引で4€。二部屋の間取で台所もトイレも無い。狭苦しさは無いが、整理整頓が出来なかったベートーヴェンが居た頃はぐちゃぐちゃだったと思われる。引っ越し魔なのも合わせ、同時代の天才葛飾北斎と似通っていて面白い。
リンク: ベートーヴェンの家 (英語)

入口。13時から14時までは昼休み。

窓際の机に備え付けの試聴機を聴いてみた。ピアノの調べは、窓から見える物静かな景色といかにも調和して、この部屋で作った曲なのかなと想像した。遺髪とデスマスクには生々しさあり。温泉療養目的でハイリゲンシュタットに来たベートーヴェンは、当地でも何度か引っ越しているので、この家が唯一の住処ではないが、生活の雰囲気が仄かに感じられる。

外に出ると一帯は緩やかな丘陵で、北には葡萄畑が広がり、畑の手前には小川が東西に流れる。これに沿った歩道がベートーヴェンの道 (Beethovengang) 。道筋はなだらかで、作曲家は散策しながら田園交響曲の構想を練ったという。自然豊かで、舗装道路以外は景色は当時とさほど変わらなさそう。薄く雪化粧した景観は、春から秋にかけて作曲された「田園」のイメージと離れてはいたが、森閑の佇まいは物思いに耽るのに良さそうだった。

所々のアイスバーンに注意

遺書を書いたのが1802年、そして1805年の交響曲第3番「英雄」以降の10年間は、傑作の森と呼ばれる充実の期間に入る。経緯だけ見れば、逆境を機に生まれ変わったような印象。遺書は必ずしも自殺前提の内容ではなかったようだが、捨てずに遺されていたのは意図的だったかどうか。

職業に致命的なハンデに屈せず、それまで以上の成果を遺した生涯は実際伝記に相応しい。けど真の価値は、200年経った今もなお作品が愛され続けている事だろう。苦しみを乗り越えた人は無数にいるが、数世紀の間、認められ続ける仕事というのは極めて希少。なので、もしベートーヴェンに関心を持ったなら、作品に触れる事こそアーティスト冥利のはず。

幸い今日クラシック音楽の視聴はハードルが低い。個人的なお薦めは、最晩年の作品「弦楽四重奏曲 第12番〜第16番」。重厚でときに激しい有名な交響曲と異なり、穏やかで心が落ち着く曲調。ロマン派の先駆者が死を間際に古典的な室内楽を遺したというのは、それが到達点だったのか、または原点回帰だったのか。死去した54歳という年齢は、現代なら円熟期に入る頃だけに、クオリティは最後まで落ちていない。

バス停にて。係員が車を停め学童を横断させる。

ハイリゲンシュタットにはホイリゲなる飲み屋が点在している。『のだめカンタービレ』に、この地を訪れたのだめ一行が「家」を閉館で追い返され、「道」を雪で転倒しながら散歩した後、ホイリゲでワインを飲みながらエアオケで盛り上がるシーンがある。前後ではウィーンの主要観光地も描かれているので、のだめでクラシック音楽に興味を持った人は、同じルートをなぞるのも一興かも。


【ベルヴェデーレの接吻】

この日はハイリゲンシュタット→ベルヴェデーレ(絵画鑑賞)→軍事博物館→シュテファン大聖堂→モーツァルトハウス→楽友協会(コンサート観賞)と回る予定だった。一見盛り沢山だが、それぞれの距離が近いのと、交通機関でのアクセスのし易さから、さほどの慌ただしさは無い。

上宮の麓に広がるクリスマスマーケット

ベルヴェデーレ宮殿(上宮)は敷地が広大で、建物を視認してから館内に入るまで遠い。中は宮殿特有の高い天井とそこに広がる天国の絵が印象的。偶然、昨夜フォルクスオーパーで隣座席だったアメリカのおばさんを見かけた。椅子に腰掛け宗教画を感に打たれた表情で見つめている。

目玉展示、黄金に彩られたクリムトの「接吻」は、光を浴びて演出されていた。金屏風を連想させるぼうっと輝く神々しさは、その場でしか得られない体験。タイトル「The kiss」をそのまま「キス」と日本語表記していたら、随分軽いイメージになっていたと思う。漢字だからこそ格調が整い綺羅びやかな画風にも合う。絵自体はとうに完成済みだが、見せ方や見方に完成形や完全回答は無い。

クリムト『接吻』※Wikipediaより

ウィーンの主要美術館を回ると、クリムトのほかシーレココシュカの名を頻繁に見ることになる。構図や色などそれぞれ表現が独特で、差異がわかり、好みの画家や画風を発見し始めたら世界が拡がる。世紀末芸術の作品群には伝統を打ち破るようなスタイルが繚乱し、それらにどことなく共通する暗さは当時の世相を映し出してもいた。
リンク: Google art & culture "Belvedere"

ベルヴェデーレ宮殿上下左右対称の図

ベルヴェデーレ宮殿から南へ10分ほど歩き、軍事博物館に着いた。第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件の際、オーストリア皇太子が乗っていた車が保存されており、これが目的。が、あいにく非公開期間中だった。クリスマスシーズンに博物館を訪れる客は少なく、館内は閑散としていた。

もとは兵器庫だった軍事博物館

軍事博物館を出た16時半には早くも日が暮れていた。ベルヴェデーレ方面に広がる公園周囲の人影はまばらで、所在なくうろついている男の姿が薄気味悪い。治安の良いウィーンとはいえ冬の日の短さには留意したいところ。


【モーツァルトが見た景色】

ウィーンのランドマークシュテファン大聖堂は、どこからでも目立つ高い塔が目印。モーツァルト・ハウスはこの寺院のそばにある。モーツァルトの家と銘打つ施設は数多いが、ここの特色は建物が当時のままというところ。5階まで吹き抜けの構造は下から見上げると開放感があり、部屋も広く住み心地が良さそう。街の中心地だけに家賃も高かったようで、モーツァルトの羽振りが良かった時代の住処と言える。

モーツァルトの歴代住居の中では最高級

各部屋がどう使われていたのかは不明で、館内では推測により家具を配置し、再現につとめている。ある部屋の窓からの眺めがとりわけ心に残った。説明書きに、ここから見える景色はモーツァルト居住当時からほとんど変わっていない、とあったから。アパートに挟まれた細い路地が見えるのみだったが、人通りの絶えた夜景は現代と過去の差異を消していて、18世紀後半に時間旅行した錯覚を覚えた。

レーザーで彩色されたシュテファン大聖堂

晩のコンサートに備え、大聖堂ふもとの屋台で食事を摂った。選んだのはカボチャ大の丸パンをくり抜き、中をスープで満たした一品。ボリュームがあり温まる、けど塩辛い。ひと口目はパンプキンスープが美味。ふた口目はパンと合わせてなお美味...3分後には身体が猛烈に水を欲した。ウィーンの屋台では、食後いつも喉の乾きに苦しめられ、冬場にも関わらずミネラルウォーターが必携だった。

趣向に富んだイルミネーションの繁華街

これほど塩辛いのだからビールの消費も促されるわけだと納得。たった数回の食事でその国のグルメを語る資格は無いが、予算には制限がある。オーストリア飯は美味くないと割り切り、その後食事の支出を押さえる事にした。


【楽友協会の歌合戦】

リンク内の南端にはオペラ座が鎮座する。その外側カールスプラッツ通りを東に歩くと、白と橙色で鮮やかな楽友協会が見えてくる。照明で浮かび上がる姿はひときわ壮麗。メトロでアクセスするなら、U1,2,4 カールスプラッツ駅 (Karlsplatz) から徒歩5分。

クラシック音楽の殿堂 楽友協会

格式高いホールだけに一張羅の正装をちらほら見かけた。ただ特別のコンサートでもないので普段着姿の方が多く、過度に気を遣う必要は感じなかった。感嘆したのは、髪型から制服の着こなしまで完璧なスタッフ達の洗練された立居振舞い。由緒ある音楽の殿堂はさすが違うと惚れぼれするほどで、正直、館内のどんな豪華な内装よりも感銘を受けた。

チケットは楽友協会のサイトから購入済み。予約確認メールのプリントか、決済時のクレジットカードを受付に見せて引き換えてもらう。行列に並び、カウンターでカードを手渡すと、スタッフが照合ののち、チケットを持ってきてくれた。今どきアナログだが手配に抜かりはなく、ドイツ語圏は事務手続きに関してはまったく安心できる。

座席はOrgelbalkon、すなわち舞台背後でオルガン横の格安席。席種表記の下に"sicht eingeschränkt !"とあるが、これは「視界が制限されます」という注記。ネット購入の座席選択時にも明記される条件で、もちろん了解事項。
参照: 楽友協会席種

指定の1列目2番に着くと、確かに最前列にも関わらず、身を乗り出しても舞台がほんの一部しか見えない。それでもマシな方で、後ろの2列目以降は舞台の代わりに前の客の後頭部しか見えない。いかにも昔ながらの構造だが、たとえ不便でも変えない事が価値とも言える。実際需要はあるようで、新年コンサート映像ではこのエリアも満席になっている。もっとも、この日この席種に居たのは自分だけだった。

オルガン横席から見えるのは照明と観客だけ。

開演直前にふとスタッフが近づいてきて、壁際の空席に移っても差し支えありません、と告げてくれた。そこは舞台がすべて見渡せる良席。思いがけない申し出に驚きつつ、自分のチケットはこの席種だがと確認すると、「いいんですよ」と笑顔で去り扉を閉めた。これがサービスというもの!

今夜はオペラ曲集のプログラムだったが、演目というより旅程に合わせて来たので、出演歌手名も曲目も全然知らなかった。けどオーケストラの出だしの一音から、一気に心を掴まれた。今日、日本のオケもそれなりの水準のはずだが、上には上があるもので、音楽素人の自分でさえ違いが分かる。

休憩時間、舞台を正面に見た黄金のホール

歌のパートに入り、歌手が入れ替わり歌唱力を競い始めると、興奮が更に高まった。合計で男女4人ほどが出演したが、歌手の力量に応じて聴衆の拍手に差が生じ始め、歌い手も期待に応えようと、あるいは負けじとテンションを上げるから一層盛り上がる。このライブ感が楽しい。

観客がしっかり聴いているので、ミュージシャンにも張り合いと緊張感が見受けられる。パフォーマンスする側だけでなく、受け手の成熟度も日本との差が感じられ、それが数世紀アーティストを育んできた街の真骨頂に思えた。

(2013/12/20)