【エネルギー溢れる女帝】
シシィ博物館を出た後、ホーフブルグ宮殿の中庭をリンクシュトラーセの方へ歩けば、その先にマリア・テレジアの坐像が見えてくる。リンクとはウィーン中心部を囲む環状道路のことで、現在路面電車が走るこのラインは、19世紀中頃まで存在していた城壁や堀の跡地。役に立たなくなった防衛施設を取っ払い、街の規模を拡げて人口増大に対応したウィーンは、こうして近代都市へのステップアップを遂げた。沿線に建てられたオペラ座や楽友協会などの文化的建築群は芸術の街の象徴となり、これから訪れる美術史博物館もまたこの時期の成果の1つ。女帝像周辺の屋台で焼かれているソーセージが香ばしそう。列に加わり調理を見ていると、円筒状のパンに縦穴をくり抜き、大量のケチャップをドボドボ流し込んだ後、ソーセージを押しこんでいる。なるほど、穴の底に溜まったケチャップが、ソーセージの挿入によってパン内部で上へ押し上げられ全体に行き渡る…わけがない。ケチャップは底に溜まったままだから、ソーセージを食べきった後、パンを杯にして飲めるほど余る。こんな塩辛いものは身体に毒だから、心苦しいが捨てるしかなかった。作り方が根本的におかしい。
立ち食いしながらマリア・テレジア像を見上げた。オーストリアを中央集権化し、教育制度を整備するなど、近代国家の礎を築いた名君。フランスに嫁いだ娘マリー・アントワネットとの往復書簡を読んだ事があるが、王太子妃としての心得から生活習慣にまで、細かな助言(小言)に溢れていたのが印象的だった。為政者として民衆の教育に力を入れたのも、世話心の発展形態だったかもしれず、その意味でも国母という諡は相応しい。
威厳あるマリア・テレジア像 |
慈愛に満ちたマリア・テレジアは、潔癖が度を超す一面もあり、男女の貞操に固執した挙げ句、風紀委員会なる組織を発足させ、浮気行為から丈の短いスカートまで、ふしだらな行為を厳しく取り締まったから、市民は多いに迷惑した。何事も良し悪し。
隣国プロイセンのフリードリヒ大王との犬猿の仲は、今日のオーストリアの領域にまで影響を与えた。宿敵ブルボン家と同盟しプロイセン封じ込めを図ったものの、外交革命と賞された戦略の果実は実際は乏しく、争点だった重要工業地帯シュレジエンを獲れなかった上、親フランスとなった事で、ドイツ諸邦はプロイセンになびき、19世紀後半ハプスブルグ家がドイツ帝国から弾かれる結果を生んだ。これが今日のオーストリア共和国の由来。
10代と40代のマリア・テレジア肖像比較 |
それでもマリア・テレジアがしっかりしていたからこそ、男子がいったん途絶えたハプスブルグ家は持ち堪えたし、周辺列強にも飲み込まれなかったとは言える。驚くべきは、政治に戦争に外交に心を砕きつつ、毎年のように妊娠していたという事実。歴史上君主は星の数ほどいるが、20年間お腹に子供を宿し続けていたのは彼女だけだろう。その凄まじいエネルギーを支えたのが大食だった事は、スケール満点の晩年の肖像画を見れば察しがつく。勿論ここの銅像の体型はやや控えめである。
【ハプスブルグの顎】
マリア・テレジア像を正面にして、右側に自然史博物館、左側に美術史博物館が対になって位置している。双方とも規模が大きいので、もし見学時間が限られているとしたら、著名な美術品や宝物を多数所蔵する美術史博物館がおすすめ。建物は荘厳で、内部の高い天井と広い空間、装飾に満ちた壁面や柱は、ハプスブルグ家の威勢を感じさせる。参考: Google Art & Culture [Kunsthistorisches Museum Wien]
感銘を受けたのはディスプレイ方法。部屋の照明を全体的に落として、ライトの光で展示品が浮かび上がるような見せ方。貴重な遺物が収められた立方体のガラスケースは規律良く配置され、陳列の見栄え自体が美しい。ドイツ人の仕事の細かさと優れた美的センスはみごと。
かつてはスペインやオランダなどもハプスブルグ家の領土だったので、収蔵品もその領域の画家の手になるものが多い。ことにブリューゲルの作品が充実している。彼の絵を見分けるのは素人の自分でも難しくない。アニメを連想させるような、やや丸みを帯びた戯画調の人物群ですぐわかる。
個々の表情にはほとんど力を入れていない、もしくは全く描かれていない。人物の内面に迫るより、群衆として人間を俯瞰し、突き放した視点で描くことによって、かえって人間に迫ろうとしている風に見える。彼の絵はいわゆるモブシーンで、描き込まれている情報量が多いから、じっと眺めていると動画を見ている気分にとらわれる。ブリューゲルが現代人だったら、優れたアニメーション作品を創ったと思う。
ブリューゲル作『雪中の狩人』※Wikipediaより |
ハプスブルグ家代々の肖像画も多い。誰も彼も見事なまでに出張った顎の持ち主。理由は代々続いた近親婚で、スペインのハプスブルグ家などはこれが原因で断絶した。中には咬み合わせが悪すぎて、食事を丸呑みしていた人もいるほど。王族の血を喜ぶべきか、異常な顔面を受け継いだ不幸を悲しむべきかは難しいところ。オーストリア家系の方は、肖像画を見る限り、マリア・テレジアの父カール6世はやや受け口だが、その孫ヨーゼフ2世やマリー・アントワネットの代にはほぼ見られなくなっている。
マクシミリアン1世と孫カール5世 |
美術史博物館を出る頃には夜の帳が落ち、ライトアップで化粧された隣の新王宮 (Neue Burg) が荘厳な表情を見せていた。そのバルコニーではかつてヒトラーが演説し、オーストリアの民衆は、同胞ドイツの英雄を歓呼の声で迎えた歴史がある。
ライトアップされ幻想的な新王宮 |
新王宮は無料なので入ってみた。遅い時間帯なので人がほとんどおらず、だだっ広い館内はがらんと静まり返っている。ただひとり薄暗い部屋の中、数百年の来歴を持つ展示物に囲まれていると、それらがまるで生命を宿して迫ってくるかのようで少し気味悪い。夜になると展示物が動き出す映画があったが、作者は似た体験をしたんじゃなかろうか。
可笑しかったのは銀色の西洋甲冑。どれを見てもサイズが同じなので、当時は肥満体は少なかったのかなと訝しんでいたら、やはりデブ専用のがあった。一見防御力が高そうだが、動き辛そうで、歩く棺桶のようでもある。装飾性は日本の甲冑の方が遥かに優れているが、こちらの鎧は実利重視なんだろう。
王宮からコールマルクト通りを望む |
【フォルクスオーパーへの道】
日本の年末といえば「忠臣蔵」だが、ウィーンの年末といえば「こうもり」。明るいオペレッタで笑って年を越す慣習に、不思議と師走の風情を感じたりする。ウィーンの著名な歌劇場の1つフォルクスオーパーのチケットを事前にオンラインで手配していた。アクセスはU6 Währinger Straße-Volksoper駅から徒歩3分。劇場正面にカフェがあり、開演前の食事に丁度よさそうだった。オンライン購入の場合、サイト画面を印刷したものがチケットで、座席位置とバーコードが明記されている。
<座席位置と価格>
GALERIE (最上階) LINKS (左)
Reihe (列) 7
Platz (番) 11
€ 24.00
※その他の席位置
PARKERT (平土間) / BALKON (2階)、RECHTS (右)
座席は最後尾に近かったが、傾斜が急なので舞台からの距離感はさほど感じず、見易さはほぼ支障無かった。役者の表情まではさすがに窺えないが、これで3,000円程度ならお得。ただ前の座席との間隔は膝がつきそうなほど狭く、人が通過する際は必ず立ち上がらなければならなかった。上演中、舞台上部にセリフの英訳が流れるが、逐一それを追うと肝心の芝居が疎かになるので、基本は演技に集中しながら時おり目をやる程度が適当。
オケの様子がほんの少し見える特典 |
オペラに敷居の高さを感じる人でも、軽妙な喜劇オペレッタなら世界に入りやすいと思う。その点「こうもり」はウィーン歌劇の格好の入門編。劇は3幕で構成されるので2回の休憩を挟む。3時間以上の長丁場だが、ストーリのテンポが良く、華やかな舞踏シーンもあるので時間が経つのは早い。耳に馴染んだ楽曲も多く、物語の展開以上に印象に残るだろう。
舞台で躍動していたのは、しぐさが軽快で可愛らしい小間使いアデーレ役の女優だった。コミカルな演技で笑いも取れる一方、歌のパートになるとガラッと歌手に化けるギャップも楽しい。オーストリア2日目だったが、人々の応対に硬い印象受けつつあった分、彼女の奔放な演技がより新鮮に映ったのかもしれない。芝居は演出によって随分印象が変わるが、自分にはこのアデーレが真の主役に見えた。
(2013/12/19)