エクササイズに励む皇妃 (ウィーン 2)

【帝国は母胎から】

ウィーン観光のスタートは、シェーンブルン宮殿と王宮周辺が定番。「周辺」と呼ぶのは、王宮ホーフブルグ宮殿と併設のシシィ博物館のほか、近くにある美術史博物館自然史博物館、新王宮などが一帯にあるから。午前にシェーンブルン、午後に王宮周辺という風に配分した。

宮殿に着いてからお腹が減らないように、予めスーパーで朝食を調達した。入ったのは街中で見かけるSPARという店。赤色基調の看板は一見コンビニ風だが、店内の広さや、商品構成、品数などは、日本の大型スーパーの食品コーナーに近い。レジ前を流れるベルトコンベアーはパリと同じだった。

ハンバーグとパンが数種類置かれたコーナーは、好みの組み合わせでハンバーガーを頼める様子。指差しで注文すると、店員のおばさんが「xxxxx?」と問い返してきた。「○○ね?」という確認だったのだろうが、「○%$△#?」とオウム返しすると、その発音がよほど変だったらしく爆笑された。まあ仕方ない。それでも「これとこれの組み合わせね」と手振りで確認し、値札を付けた包装物を渡して、あとでレジで精算するよう教えてくれた。

静かなシェーンブルン駅

宮殿へのアクセスは、メトロU4 シェーンブルン駅 (Schönbrunn) から歩いて5分ほど。駅から宮殿への道なりには、エリザベート妃の肖像画を用いた旗広告がずらりと並ぶ。その華麗なビジュアルはスターの輝きを放っていて、存在感は夫フランツ・ヨーゼフは言うに及ばず、女帝マリア・テレジアをも凌駕するほど。

エリザベート、愛称シシィは、贅沢三昧の暮らしぶりで特権を享受し続けた割には、皇后の務めにおろそかにした、いや、自由を追い求めて生きた人で、マリー・アントワネットと同じじゃないかと、冷ややかな目で見たくなる。けど死後、観光資源としての貢献によって、ようやくオーストリア国民に対し義務を果たしているのかもしれない。

曇天にも映えるシェーンブルン宮殿の全景

黄色い外観のシェーンブルン宮殿は、厳冬の曇り空のもとでも、陰気にならない明るさを醸し出していた。本来は金で塗装するところ、財政面を考慮して今の色になったらしいが、金光りよりこちらの方が趣味が良い。

16人の子供を産んだマリア・テレジアに見られるように、ハプスブルグ家は代々多産の家系で、戦勝ではなく婚姻戦略によってヨーロッパを制した稀有な一族だ。ハプスブルグ帝国の強みが母胎だったという史実は、生物の繁栄とは何かの基本を教えてくれるよう。

麓はクリスマスマーケットで賑わう

宮殿前にはクリスマスマーケットが展開していた。昨夜の市庁と比べ、昼間は子供が多く賑やかで、たくさんの鳩が飛び回っている。シェーンブルン宮殿の見学にはシシィチケットがお得。宮殿のほかホーフブルグ王宮やシシィ博物館などの入場券がセットになっていて、ウィーンカード提示で割引料金23€。有効期間は1年。1年も要らないが。

宮殿内の見学は1時間ほどで済んだ。10時頃の入場だったが、冬季だけに混雑は無かった。他のオーストリア建造物同様、内部の写真撮影は禁止。ヴェルサイユ宮殿を意識した建物だけによく似た部分があったが、印象的だったのは皇帝フランツ・ヨーゼフの執務室。簡素で機能的な内装は、君主として己を律した生活と仕事ぶりが表れていて、彼が単なるシシィの旦那ではなく、国父として認知されている所以と感じた。


【王宮周辺のモーツァルト】

王宮の最寄はU3ヘーレンガッセ駅 (Herrengasse) で、シェーンブルン駅から乗り継いで15分ほど。ヘーレンガッセとは貴族通りの意味で、もともとはローマ帝国の軍用道路。近づくに連れ獣臭が漂ってくるので訝しんでいると、原因は王宮正面のロータリー(ミヒャエル広場)に待機する観光客用の馬車だった。

王宮を背景にカコッカコッと石畳の上を蹄を鳴らして進む様は絵になり、旅の気分を昂揚させるが、注意すべきは足元に散乱している馬糞。踏んでしまったら、その後の訪問先に迷惑を掛けるので、ちゃんと靴裏を掃除せねばならない。それでも景観上、馬車がこの場に相応しいのは間違いない。

雰囲気満点のミヒャエル広場の馬車

オペラ座方面に歩いていると、モーツァルトを模したカツラの宮廷楽士姿が目につき始めた。彼らはクラシックコンサートのチケット売りで、旅行者と見て取ると熱心に声を掛けてくる。高めの観光客価格だが、目立つコスチュームは外国人への訴求力も高い。けど本場の演奏を楽しむなら、自分で調べて手配した方が良いだろう。

昼のホーフブルグ (Hofburg)


【偶然伝説になった皇妃】

王宮見学のルートは「銀器コレクション」→「シシィ博物館」→「皇帝の居室」の順で、入場料は全てシシィチケットに含まれている。王宮は長くハプスブルグ家の居城だったが、チケットの名称に顕れているように、特に事績も無いエリザベートが展示の中心なのは奇異な感じだ。理屈よりも、客を呼ぶのはスターだという割り切りだろう。写真のエリザベートも美人とはいえ、一連の有名な肖像画は彼女を偶像としてさらに昇華させ、国民的アイコンの地位にまで押し上げた。

ヴィンターハルター画 ※Wikipedia より

実はもともと妃候補は姉のヘレーネだった。なのに、お見合いの場に"たまたま"居合わせた次女エリザベートが見初められてしまい、結婚相手に選ばれた。姉こそ気の毒だが、実際ヘレーネの写真を見ると、愛らしい妹に目が行った若きフランツ・ヨーゼフの気持ちは理解できなくもない。

もっとも皇妃となった事がエリザベートにとって幸運だったのかは分からない。皇帝一家には公務があり、地位に伴う責任も束縛もある。気ままが好みの彼女にとっては、ストレスが溜まる一方だったようだ。熱心にお妃教育を試みた(からこそ?)姑の大公妃ゾフィーとうまくいかなかったのも宮廷嫌いに輪をかけた。妻をこよなく愛した夫ではあるが、母の影響力の前には無力だったらしい。頻繁に旅行に出た皇妃エリザベートの生活ぶりは、現実からの逃避の結果という側面が強かった。

皇妃エリザベート(30歳) ※Wikipediaより

結局彼女は無差別テロに遭う形で命を落とす。凶器のヤスリによる一撃で、傷口が小さく血も噴出しなかった為、深刻な事態と分かるまで時間が掛かり、致命傷となった。王侯貴族に反感を持つ男の犯行で、居場所が新聞で報じられていたエリザベートが、"たまたま"その対象になったらしい。

この事件が彼女にとって不幸だったかにも一考の余地がある。なぜなら、公務を放ったらかした皇妃に対する国民の批判的な目が、殺害された事によって同情へと変わり、現在まで続くシシィ人気へと繋がった面があるから。また美への飽くなき執念を見せたエリザベートだけに、60歳という年齢は、死期としてさほど未練が残らないタイミングだったかもしれない。

有名なシシィのダイエット器具は、「皇帝の居室」コーナーに展示されている。乗馬も嗜んだ皇妃だったから、もともと運動好きな人だっただろうが、カロリーを充分摂れる身分にも関わらず、過度の食事制限を課し、体型維持に血道をあげる行為は、最高の無駄、いや贅沢だっただろう。その観点からすると、美と健康の為にエクササイズに励む現代の女性たちは、エリザベートの後継者に見えなくもない。

(2013/12/19)