市バスで行くヴェルサイユ宮殿 (パリ 4)

【市バスで遠足】

パリ市内からヴェルサイユ宮殿へは複数のルートがあり、どれを選ぶかは宿泊地の位置にもよるが、簡単で確実なのは、メトロ9号線ポンドセーヴル駅 (Pont de Sèvres) から171番バスの利用かと思う。バス停はメトロ駅に隣接し、バスは目的地の宮殿正面に停まるので、アクセスの難易度は低い。
参照:電車でのアクセスはメルシーパリ.ネットが詳しい。

ヴェルサイユ宮殿は18世紀の世界の中心

ポンドセーヴル駅はメトロ9号線の終点。出口階段を上がるとそこにバス停があり、「171」の標識はすぐに見つけられた。運賃はメトロ分とバス分を合わせてカルネ2枚が必要。市内バスだけに頻繁に停留所に止まるが、地元の足を使ってる感が逆に楽しい。始発バスなので座席は確保しやすいものの、車内は次第に混んでくる。宮殿まで約30〜40分ほどかかる。

道中、女性の群衆が宮殿に押し掛け、ルイ16世一家をパリに連行したヴェルサイユ行進も同じ道のりだったかと思いを馳せた。群衆の先導や宮殿乱入は、背後に現国王に不満を持つ王族の協力があったとも言われる。真偽はともあれ、支配階級に要求を通したという実績が民衆に自信を植え付け、やがて王侯貴族を否定する革命へと繋っていく。

ベルサイユへと行進する数千人の女性たち

近年は開明君主としての再評価もあるルイ16世だが、暴力に暴力をもって臨まなかったのは、王家にとっては失策と言えた。暴動初期に徹底的に押さえ込んでおけば、その後の展開は違ったかもしれない。もっとも旧体制が存続したとして、それがフランス人にとって良かったかどうか。

わが国の徳川慶喜のケースも似ていて、薩長相手に全面戦争すれば幕府が勝つ公算もあったが、内戦の激化と長期化は、結局日本人に不幸な結果をもたらしただろう。避戦を選択した日仏の両君主は、みずからの地位と権力の保持には失敗したものの、本人達の意図はともあれ、国の体制変換をスムーズに果たした役割に共通点がある。ただ2人の行く末が対照的だったのは周知の通り。

ところで今日のフランスのストの多さは、革命の成功体験が原動力とする説がある。とすると日本人の従順性は、維新時と敗戦時に権力者打倒の経験を伴わなかったゆえ、なのかも。

ルイ14世。絶対王政下、大宮殿建築を断行。

バスを降りてヴェルサイユ宮殿に向かうと、ルイ14世の騎馬像が出迎えてくれる。太陽王と呼ばれた華やかなイメージの国王だが、この時代の相次ぐ戦争がブルボン朝衰退の引き金となった事実は見過ごせない。社会と経済が変動し、従来の体制と価値観が揺らぐ時代に即位したルイ16世は、先王達の負債を背負う宿命にあったようだ。

つづら折りの宮殿の入場待ち

到着は11時半。すでにつづら折りの行列はどこが最後尾か分からないほどだった。そのわりには、あとから来る観光客も割り込みなどせず、順番待ちは秩序だっている。彼方を見ると黒雲が立ち込めており戦々恐々。屋根が無いので、長時間吹き曝しになり得るから、雨天時や寒い季節には雨具・防寒具、酷暑時は帽子など準備しておくのが無難。結局、約1時間後に入場できた。


【混雑の宮殿】

宮殿内はごった返していて落ち着いて見学できる雰囲気はなく、お客はまるでベルトコンベアーに乗って流れる商品のようだった。見所はたくさんあるが、どこにカメラを向けても他の観光客が映り込む。もはや写真撮影にとらわれず、現地でしか感じられない空気を楽しむべきと切り替えた。

王室礼拝堂。毎朝ミサが執り行われた。

有名な鏡の回廊は当時の豪奢な雰囲気を残しており、これだけでもヴェルサイユに来た甲斐がある。観光客に溢れる今は空間が手狭に感じられて、ここできらびやかな舞踏会が開かれていた事を想像するのは難しい。世界史の舞台としては1919年、第一次大戦後のヴェルサイユ条約が調印された場所でもあり、現在はフランス国のゲストを迎える場としても使われている。いまだに現役で活用されているのは立派。

イメージよりは狭く感じた鏡の回廊

宮殿をひと通り回るには大体2時間程度。他にも庭園やトリアノンなどのスポットもあるので、食事休憩などを挟んで1日掛かりで見学するのが定番。ただし庭園は別料金。噴水ショーなどのイベントも開催されるので、事前に時間や日にちを合わせるのも良さそう。
参考: ベルサイユの見どころ(Jams Paris)

映画に出てきそうな食卓

ヴェルサイユ観光では昼食の場所とタイミングもポイント。軽食の売店などで食べれる時に食べた方が良い。アントワネットが引き篭もったプチトリアノンも訪れるつもりだったが、宮殿から歩いて30分以上掛かると言われ断念。移動手段であるトラムも長蛇の列だった。市内からの移動を考慮すると、宮殿巡りだけで半日使い切ってしまう。


【ユダヤ人街】

カルナヴァレ博物館には、パリの歴史、特にフランス革命にまつわる充実した品々が展示されている。日本語ではミュージアム (musée) を美術館と表記しているケースもあるけど、ここは歴史博物館。所在地はマレ地区。最寄り駅はメトロ1号線サンポール駅 (Saint-Paul)。

マレ地区はかつて多くの貴族が暮らしたエリアで、カルナヴァレ博物館もその大邸宅を利用したもの。全体的に落ち着いて瀟洒な雰囲気のある場所だ。ユダヤ人街でもあり、あちこちにヘブライ語の看板を見掛ける。ヴィシー政権下の1942年には、ここに住んでいた人たちを含む、ユダヤ人13,000人余りが当局によって一斉検挙され、屋内競輪所に押し込められた後、アウシュビッツなどの強制収容所へ移送されたという暗い歴史がある。


このエリアでは中東の味ファラフェルというサンドイッチが名物。ピタパン(丸く平たいパン)に豆のコロッケや野菜を詰め込み、少し酸味のあるタヒ二ソースで味付けしたものでボリューム満点。店によるが大体5€程度。ファラフェル屋はそこらにあって、頬張ってる人がそこら中に居た。一口に頬張るには大き過ぎるサイズなのでフォークで食べた。

ヘブライ語が目立つマレ地区

旅行者にとって助かるのは、日曜になると空いているお店が少なくなるパリにあって、金曜日が安息日のユダヤ人にはそのルールが適用されない事。街は多くの人で賑わい、路上コンサートなども開かれていて、セーヌ川沿いとは違った魅力があった。

カルナヴァレ博物館

無料のカルナヴァレ博物館だが中々の充実ぶり。ルイ16世一家ことにマリーアントワネットのブロンド色の遺髪が印象に残った。肖像画の彼女の頭髪は常に銀髪のかつら姿なので、実物の髪を見て生身の本人に接した気がしたのだ。

マリー・アントワネット肖像画 ※Wikipediaより
マリー・アントワネットの遺髪

ナポレオンのデスマスクもある。実際の顔だちを見るのは興味深い。ここには無いが、ルイ16世やマリーアントワネット、ロベスピエールなど、ギロチンに掛けられた著名人のデスマスクも存在する。蝋人形で有名なマダム・タッソーが、処刑後墓地から切断された首を持ち出し、それをもとに製作したものだ。もちろん趣味ではなく、当局から許可を受けての仕事。

特にロベスピエールは頭部が近年復元されて話題になった。肖像画ではつぶらな瞳なのに、復元像では暗い目つきをしていて、いかにも恐怖政治の立役者らしい陰湿な表情。作為的だとの批判もあったようだが、目はそれだけ人の印象を左右する部位ということ。仮面舞踏会で目を隠すのも同じ理由。

ナポレオンのデスマスク

フランス史好きの人はカルナヴァレは訪れる価値があるし、興味が無くとも、この界隈のお洒落な店などでショッピングが楽しめたりする。時間に余裕があるなら、マレ地区散策はパリ半日のお薦めオプションの1つと言えそう。

人権宣言のパネル
(2013/9/22)